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潼関(どうかん)の戦いとはどんな戦いだったの?【関中十部VS曹操軍】

この記事の所要時間: 327




馬超 許褚

 

潼関の戦いは馬超や韓遂を中心とした関中十部(かんちゅうじゅうぶ)と

言われる連合軍VS曹操軍が潼関(どうかん)周辺で行われた戦いです。

この地で曹操軍に兵力で劣る関中十部の連合軍は奮戦しますが、

曹操軍に敗北してしまいます。

この潼関の戦いはなぜ起こったのでしょうか




潼関の戦いが行われたきっかけ

張魯 お宝

 

そもそもなぜ潼関の戦いが始まったのでしょうか。

その原因は曹操軍が漢中に割拠している張魯(ちょうろ)討伐を行おうとしたことが

原因です。

漢中の地は涼州の地を通っていかないとたどり着くことができません。

そのため涼州に割拠していた馬騰(ばとう)の息子である馬超韓遂(かんすい)は、

曹操が張魯討伐を名目に涼州の独立軍閥達を討伐するのではないかと疑います。

 

馬騰

 

そして馬超と韓遂は涼州に割拠している独立勢力を集め、連合軍を結成し、

曹操軍に反旗を翻した事が原因で起きた戦です。




曹操を追い詰めるも…

曹操様お守りします

 

曹操は大軍を率いて潼関に到着します。

馬超や韓遂らの関中十部の連合軍も潼関に到着し、両軍はにらみ合う形になります。

曹操はこのにらみ合いを打破するために、

曹操軍の別動隊として徐晃(じょこう)朱霊(しゅれい)に軍勢を与えて、

潼関の北部にある蒲阪津(ほはんしん)と言われる場所から対岸に渡って、

陣地を構築させます。

両将軍の陣地構築成功の報告を聞いた曹操は、自ら大軍を率いて渡河を決行。

この時馬超率いる軍勢が曹操軍の渡河を狙って急襲してきます。

曹操は馬超の突然の攻撃によって、命を奪われる寸前まで追い詰められますが、

何とか渡河に成功します。

もしここで馬超が曹操を討ち取ることが出来たら、歴史はかなり変わっていた事でしょう。

 

潼関の戦いに敗北した原因【離間の計に連合軍の結束が崩壊】

馬超仲間入り

 

さて馬超は曹操を追い詰める事に成功するのですが、

潼関の戦いは曹操の勝利で幕を閉じます。

なぜ馬超ら関中十部の連合軍は敗北してしまったのでしょうか。

その原因は曹操の軍師である賈詡(かく)の活躍があります。

賈詡は曹操に一つの提案を行います。

その提案とは「関中十部の結束をバラバラにしてしまえば、

簡単に打ち破る事ができるでしょう。」と提案します。

曹操はこの提案を採用し、賈詡に離間の計を行わせます。

賈詡が行った離間の計は、韓遂と曹操二人で会見させ、馬超に疑念を植え付けます。

この二人の会見が終わった後、賈詡は曹操に「韓遂に黒く塗りつぶした手紙を

送ってくだされ。」と進言。

 

曹操は賈詡の言われた通り、黒く塗りつぶした手紙を韓遂に送ります。

馬超は韓遂が受け取った曹操の手紙を見て、韓遂に疑いを持ち始めます。

こうして馬超と韓遂が疑い始めた事で、関中十部の連合軍は馬超に着く派閥と

韓遂に着く派閥に分かれてしまい、結束力が無くなっていきます。

この離間の計によって関中十部の連合軍が敗北した最大の決め手であると

言えるのではないでしょうか。

 

連合軍の結束力は無くなり、曹操軍の猛攻によって敗北

曹操 魏王

 

曹操は関中十部の結束力が無くなったと判断すると、連合軍に対して猛攻を仕掛けます。

馬超や韓遂らは結束力が無くなり、バラバラになってしまった為、

個々の軍勢で曹操軍を迎撃します。

韓遂は曹操軍が攻撃を仕掛けてくると早々に退却。

韓遂を支持している独立勢力らも退却を開始していきます。

 

馬超フルボッコ01

 

一方馬超を支持していた独立勢力は曹操軍の攻撃を迎撃するため、

少ない軍勢をまとめて迎撃に出ますが、敗北してしまいます。

馬超は命からがら、涼州に退くことに成功します。

曹操はこうして涼州で独立していた勢力の討伐に成功し、

涼州の大部分を魏の版図に加える事になります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

今回は三国志の数ある戦いの中で、潼関の戦いをピックアップして紹介しました。

潼関の戦いの後、韓遂は再び力を蓄えて独立しようと考えますが、

家臣の裏切られてしまい殺害されてしまいます。

馬超はその後も涼州各地で反旗を翻しますが、

夏侯淵(かこうえん)率いる魏軍に何度も敗北。

 

馬超

 

その後漢中の張魯の元へ逃げ込みますが、

居心地が悪かったのか劉備に仕える事になります。

その後は皆さんが知っている通り、馬超は蜀で重用されることになります。

歴史にもしもはタブーですが、

もし潼関の戦いに関中十部の連合軍が勝利することが出来たら、

どうなっていたのでしょう。

このもしもの出来事を妄想するのも三国志の楽しみ方の一つではあると私は思います。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじさんでお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)

 

黒田廉

■自己紹介:

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

■歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

■何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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