劉邦(りゅうほう)は飛び抜けた人望によって色々な人材が彼の元を訪れて配下になり、
彼の覇業を助けていくことになります。
しかし彼の配下の諸将は皆札付きの人間でありました。
今回は劉邦配下の悪い奴らをBEST3にまとめてみました。
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この記事の目次
劉邦配下の悪党1位:顔に刺青をしたいかつい男・英布(えいふ)
劉邦の配下で1、2を争う悪党といえば英布をおいてほかには居ないでしょう。
彼は秦の末期罪を犯して囚われて、その罪のバツとして顔に刺青を入れられてしまいます。
彼は顔に刺青を入れられたことを大いに喜んでおり、
囚人仲間が「英さん。なんで顔に刺青を入れられて喜んでいるのだい」と訪ねます。
すると彼は
「昔、占い師の婆さんにあんたは顔に刺青を入れられた後に諸侯になると言われたことがあて、
今顔に刺青を入れられたという事は、俺は諸侯になると約束されたようなもんだぜ」と答えます。
その後秦が乱れ始めると英布は仲間と共に脱走し、
番陽の県令である呉芮(ごぜい)の娘を娶ることになります。
この呉芮の娘と結婚した事がきっかけで彼の運命は大きく変わっていきます。
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項羽配下として出世していく
英布はその後、項羽(こうう)の配下となって軍勢を率いることになると戦場では常に先鋒で戦い
敵を撃破していきます。
彼の勇猛さは天下に轟き、項羽も彼の勇猛さを認めて九江(きゅうこう)の土地を与えて、
王の位をさずけます。
こうして占い師の予言通り彼は諸侯の一人に名を連ねることになります。
秦の兵隊を生き埋めにする
項羽はその後、秦の章邯(しょうかん)を降伏させることに成功します。
彼は章邯が率いていた秦の軍勢20万を信用することができず、
英布に「お前秦の兵士達を穴に埋めてこい」と命じます。
英布は「分かりました」と快諾し、秦の兵達に穴を掘らせてから
その穴の中へ秦の兵隊を全て放り込んで生き埋めにしてしまいます。
これほどの人数を数時間で虐殺したのは楚漢戦争時代を通して
最高新記録といっても過言ではありません。
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楚の義帝も殺害する
彼は秦の兵隊達を生き埋めにしたこと以外にも楚の皇帝となった
義帝(ぎてい)も項羽に命じられて殺害してしまいます。
英布は項羽の命令に対して疑問を抱かず忠実に実行していきますが、
項羽に不満を抱くようになり、しばしば対立していくことになります。
劉邦の配下になる
英布はその後項羽に嫌気がさしていた所へ劉邦の配下である随何(ずいか)の説得を受けて、
劉邦の配下として馳せ参じることになります。
劉邦が天下統一すると彼は諸侯となることになり、
占い師の行ったことは現実となります。
諸侯となるも劉邦を信じきれなくなり反乱を起こす
劉邦は英布を優遇して諸侯とします。
その後劉邦はある反乱鎮圧戦を行うため、英布に出陣するように命じます。
しかし彼は劉邦の命令を無視して、自らの配下に兵を出させて出陣させます。
劉邦は英布自ら兵を率いてこないことに強い不満を抱きますが我慢します。
その後諸侯の一人であった彭越(ほうえつ)が謀反を起こそうと考えていたとして
逮捕されて処刑。
この時彼の肉を諸侯へ送った劉邦ですが、
英布は自らも彭越と同じような道を
たどるのかもしれないと考えると大いに不安になり、劉邦へ反乱する準備を行います。
しかしこの謀反の計画は劉邦にバレてしまい、英布は劉邦軍が来る前に挙兵。
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劉邦軍を悩ませるも・・・
英布の反乱は非常に勢いが強く、劉邦の代わりに出陣してきた将軍を討ち取り、
劉邦にも手傷を押させるほどの気勢を上げておりましたが、
大軍である劉邦軍に次第に圧迫されてしまい城が陥落する前に逃亡します。
その後逃亡している途中で住民に討ち取られてしまうなんともあっけない最後を迎えることになります。
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