三国志時代の大晦日が楽しそう!プレゼント交換、友達と夕食や夜更かし

2016年12月31日


 

はじめての三国志

 

本日はいよいよ、大晦日、2016年も残り僅かでオシマイですね。

kawausoは、どちらかというと正月より大晦日のわくわく感が好きです。

人が忙しそうに動きまわり活気がある街中を歩くと嬉しくなります。

 

朝まで三国志 kawauso

 

そして、そんな現代人のわくわく感は、三国志時代も同じだったようです。

2016年、最期のはじさんは、三国志時代の大晦日を解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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大晦日には、プレゼント交換をしていた

曹操 関羽LOVE

 

三国の呉の武将で西晋にも仕えた周処(しゅうしょ)という人は、

若い頃、大変な乱暴者で村人から忌み嫌われ、人食い虎、

河に住む蛟(みずち)と並んで、「三害」と呼ばれる程でした。

 

しかし、年長になって悔い改め、その武勇を磨いて、

呉の近衛兵長である無難督(ぶなんとく)まで務めています。

彼は、文人でもあり「風土志」という当時の呉の社会風俗を記した

本を残していました。

 

それによると、三国志の時代の大晦日(中国では徐夕:じょせき)の夜には、

餽(き)と呼ばれるプレゼント交換会があったという記述が残っています。

呉将の陸遜(りくそん)周瑜(しゅうゆ)黄蓋(こうがい)なども、

集まってプレゼント交換をしたのでしょうか?

想像してみると、随分、にぎやかな感じですね。

 

魯粛、周瑜、袁術

 

見栄っ張りの袁術(えんじゅつ)などは、余程立派な贈物をしそうですが、

ろくな贈物があたらず落胆しそうです。

 

大晦日の晩には、お互いに夕食に友人を招いた

陳平

 

また、同じ風土志には、大晦日の日には、友人同士で、

お互いの夕食に招いたという記述があります。

これは、別歳(べつさい)と呼ばれ、歳に別れを告げるという意味です。

さらに、これが終わると、年配者と若年者が集まり、年越しまで

酒を飲みながら賑やかに過ごす、「分歳」があります。

 

曹操 劉備 呂布 酒

 

面白いのは、この頃から、大晦日は眠らないでぶっ通しで起きる方が

悪疫を払い、長寿が出来て縁起がいいという習慣があったという事です。

だから、全員が大酒を飲んで、騒ぎ続け眠らずに朝まで起きるという

習慣になり、それを守歳と呼んでいました。

 

こうして、見ると、現代日本とあまり変わりませんね、

当時から、お祭り騒ぎをしながら、仲間や家族とわいわいやり、

寝不足でハイテンションになりながら、新年を迎えていたのです。

 

また縁起担ぎであれば、当然、子供も起きられるのであれば、

起きて大丈夫という事なので、普段と違って、夜更けまで大人が

起きて賑やかにしているのを見て、当時の子供達もテンションが

上ったのかも知れません。

 

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守歳の良い話

関羽

 

中国では、守歳は、一日が二年にまたがる特別な日であり、

その日を家族や友人と共に過ごす事が重要視されていました。

 

また、この日は人情を厚くするべき祝日とされていて、

人に優しくしなければいけない日でもありました。

 

罪人

 

なので、大晦日には、特別に牢獄に収監されている罪人を牢から出し、

正月が終わるまでは、家族と守歳を過ごさせてやるという

温情措置が度々取られたようです。

 

ただ厳しいだけではない、三国志の時代の人情が伝わる良い話ですね。

 

関連記事:こんなの絶対に入りたくない!三国志の時代の牢獄は酷すぎた…当時の刑罰も合わせて紹介

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大晦日の夜に食べる年夜飯

孫権と劉備と曹丕

 

また、大晦日の晩には、家族が集まり、年夜飯という

日本のおせちのような料理を食べる風習がありました。

ここでは、主に魚と餃子が出るのだそうですが、

資料不足で、こちらが三国志時代からの習慣かどうかは分りません。

 

魚は、中国語では「ユ」と読むのですが、これは余(よ)に繋がり、

お金が余る程儲かるという縁起を担ぐ意味であったようです。

 

これも、日本のお節料理と同じで、数の子が子孫繁栄、

昆布がよろこんぶなど、語呂で縁起を担いでいるんですね。

 

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三国志ライターkawausoの大晦日の挨拶

kawauso

 

さあ、激動の2016年もいよいよ終わりになりますね。

まぁ、はじめての三国志には、お正月休みはなく、

また新年から記事を配信しますが(笑)

 

それは、さておき旧年中は、読者の皆様には大変お世話になりました。

 

これという近況報告をしていない事から、はじさんは大丈夫か?

行き詰っていないか?できるだけ記事の更新を続けて欲しいなど、

はじめての三国志を心配するメッセージも頂いておりますが、

ご心配なく、毎日、毎日、着実に成長を続けておりますよ。

 

来年度も、旧年以上にスタッフ一同、奮起し、面白い記事、

笑える記事、泣ける記事、トリビア記事などを次々配信しますので

新年も皆様の変わらぬご声援と1クリックをお願い申しあげます。

 

読者の皆様の新年が素晴らしいものである事をご祈念しつつ・・

2016年12月31日 kawauso

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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