三国志の時代にも出てくる遊侠。
関羽(かんう)や甘寧(かんねい)も遊侠に近い生活を若い頃しておりましたが
遊侠って一体何のでしょうか。
今回はこの遊侠についてご紹介していきたいと思います。
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「力を行使して法を犯している者」by韓非
秦王政の元で宰相として能力を発揮し、法の専門家としてその名を残した李斯(りし)。
キングダムでも昌文君に説得されて政の配下として加わることになります。
そんな李斯のライバルで共に同じ先生へ学んだ学友・韓非(かんび)。
彼はある日遊侠について質問されたためこのように答えておりました。
「遊侠とは法を力を行使して犯している者達のことを指す。」と述べております。
韓非の言葉通りであるならば力を行使して法を犯した者=遊侠ということになるのですが、
果たして本当なのでしょうか。
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春秋戦国時代には遊侠の記録が残っていない?
韓非子は力を行使して法を犯している者=遊侠と述べております。
実際はどうだったのか知りたいところですが、
春秋戦国時代の遊侠人達がどのような人達であったのかを知る事はできません。
その原因は誰も遊侠の人を記録しようとしなかったからです。
そのため史記の遊侠列伝には漢代の遊侠人しか残っておりません。
しかし漢代にいた遊侠列伝に記載されている人物達の生き方を見ることで、
春秋戦国時代にいた遊侠の人達がどのような行動をしていたかを知ることは出来るのでしょう。
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遊侠とはどんな意味なの?
さてここから本題ですが、遊侠とはどんな意味合いを持っているのでしょうか。
司馬遷が書いた史記では韓非子とは違う解釈を述べております
(色々足りないかもしれませんが、自分勝手に訳してみました)。
「遊侠の徒(布衣の徒)は
千里の果てであろうが関係なく義を貫き通す者のことで、
義を貫き通すためには自らの死を恐れず、
世の中批難や批判を省みることのない人物のことである
そのため絶体絶命に陥った人物は義士である遊侠の人達を頼るのである」と
記載しております。
司馬遷の史記の言うとおりであれば遊侠と言われる人達は頼ってきた人物を無碍にしないで、
損得勘定を一切捨てて義を貫き通した人達のことを指しているようです。
漢の時代に実在した遊侠人達
前漢時代の遊侠人として有名なのが朱家(しゅか)です。
朱家は遊侠の人として知られており、
助けた人物は数を数えることができないくらい大量の人間を匿って助けております。
そんな彼は知り合いから楚の将軍であった季布(きふ)を紹介されます。
彼は楚軍の将軍として劉邦を幾度も追い詰めた人物で、
劉邦が天下統一した時にお尋ね者として指名手配され、懸賞金もかけられておりました。
彼は季布を助けることに利害などなくあるのは不利益しか被りません。
それなのに朱家は季布を匿うのですが、なぜ彼は季布を匿ったのでしょうか。
その理由はただ一つです。
それは季布が指名手配されて天下に逃げるところがなくなって窮していた事です。
遊侠の人である朱家は季布を命懸けで匿いながら
漢帝国を打ち立てた功臣でありながら同じ遊侠の人として知られる夏侯嬰(かこうえい)に
季布を助けてもらうように斡旋したことがきっかけとなり、彼を助けることに成功。
季布は朱家のおかげでなんとか助かることに成功するのですが、
朱家は季布が助かった後も一切彼に会おうとしませんでした。
戦国史ライター黒田廉の独り言
朱家はなぜ季布に会おうとしなかったのでしょうか。
その理由も遊侠の人らしい理由でした。
朱家は季布の命を助けましたが、命が助かった彼に負い目を感じて欲しくないからです。
また彼は季布から恩返しをして欲しくないために姿をくらましてしまいます。
朱家こそまさに遊侠の代表的な人物と言えるでしょう。
結果として遊侠とは命懸けで困っている人を助け、
助けた人から見返りなどを一切期待しない人物のことだと思います。
参考文献 司馬遷史記 村山学・武内良雄訳
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