キングダム
馬超


はじめての三国志

menu

三国志の雑学

周瑜の死後、その一族はどうなったの?陸遜の下で活躍する周峻や息子たち

亡くなる周瑜




周瑜

 

小覇王、孫策(そんさく)の無二の親友であり孫策の江東・江南の平定に

尽力したばかりか赤壁の戦いでは、実質上、曹操を破った呉の重鎮である

美周郎、周瑜公瑾(しゅうゆ・こうきん)

しかし、そんな彼も、劉備(りゅうび)を警戒し先に蜀を獲ってしまおうと

計画した矢先、南郡攻略で負った矢傷の為に36年の人生を閉じます。

呉になみいる名将の中でも一際、光彩を放った周瑜ですが、

残された一族は彼の死後、どうなってしまったのでしょうか?

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:【新企画】朝まで三国志を開催!夜22時~朝6時までノンストップ特別企画!




周瑜を継いだのは、長男、周循

周瑜

 

西暦210年に周瑜が死ぬと、その家督は長男の周循(しゅうじゅん)が継ぎました。

周瑜には、二男一女がいるようですが、兄弟の母が小喬(しょうきょう)かは不詳です。

ただ、他に妻の記録がないので、小喬が母である可能性は高いです。

 

この周循は、雰囲気に周瑜を思わせるものがあったようです。

恐らく、周瑜に似て、堂々たる美丈夫だったのでしょう。

周循は、将来を嘱望され孫権の娘である大虎(だいこ)孫魯班(そんろはん)を妻にして孫家と縁戚になります。

周循は、騎都尉を拝命しましたが、西暦229年に死去します。

 

早く亡くなった為に、子孫は無く、ここに周瑜の嫡流は絶えます。

寿命まで父に似てしまったのでしょうか・・




周循の早死にで後を継いだ周胤

炎 s

 

周循の早死にの為に、家督は弟の周胤(しゅういん)が継ぐ事になります。

この周胤も、孫権の娘を妻にして勢い盛んで興業校尉になって、

1000名の兵を率いて公安に駐屯しています。

 

西暦229年に、兄の家督を継いで、都郷侯になりますが、

素行が悪いとして孫権の怒りを買い、罪を得て廬陵(ろりょう)郡に流されます。

それから、10年、周胤は許されず、流刑されたままでしたが、

たまりかねた、諸葛瑾(しょかつきん)と歩騭(ほしつ)は、

周瑜の功積を上奏し、周胤を赦免してくれるように孫権に頼みますが、

孫権は、なかなか許しませんでした。

 

しかし、諸葛瑾と歩騭は再度上奏し、それに朱然(しゅぜん)と

全琮(ぜんそう)も賛同し、孫権は、渋々、周胤を赦す事にします。

 

晴れて都に戻れると思われた周胤ですが、この頃病を得て病死します。

子孫の記録はないので、恐らく居なかったのでしょう。

 

 

皇太子、孫登の妃になった周瑜の娘

大喬

 

周瑜には娘もいました、一説には名前を周徹(しゅうてつ)と言うようです。

周瑜の死後に、呉郡に住んでいましたが、西暦225年、孫権の命で、

17歳になっていた皇太子、孫登(そんとう)の妃になっています。

妃であれば、年齢を大体合せると思うので周徹は15~17歳位で、

周瑜の最晩年の娘になるかも知れません。

 

まあ、若死なので最晩年と言っても、30代の前半なんですが・・

 

母が、あの小喬で父が周瑜であれば、さぞかし美しい姫だったでしょうが

結局、彼女は孫登の子供を産む事なく、若くして死んだようです。

 

美人薄命と言うべきか、ともかく、こうして周瑜の血筋は、

完全に途絶えてしまう事になります、寂しい・・

 

周瑜の兄の子、周峻

三国志 ろうそく 写真

 

周瑜には兄がいて、その兄の子の周峻(しゅうしゅん)も優秀な人物でした。

彼も周瑜の功積で兵1000名を与えられ、陸遜(りくそん)の指揮下で活躍します。

その後、周峻が死ぬと、その息子の周護(しゅうご)を将として立ててくれるように

全琮が上奏します。

 

ちなみに全琮が、周護を推すのは、彼の妻が再婚した孫魯班だから

そういう理由だと思われます。

 

しかし、孫権は、それを許さず、

 

「周瑜の功積は忘れたわけではないが、聞く所では、

周護は素行が悪く将にしたら不都合だ」

 

と言って、ついに取り上げませんでした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

このように、周瑜の二男一女は、若死に、素行不良による流刑により、

呉においては、大きな功績を残す事が出来ませんでした。

それ以前に、おそらく孫権は、呉の建国におおきな手柄があった

兄の重臣だった周瑜を内心では良く思っておらず、その子孫が政治の中枢に加わるのを

出来るだけ排除しようとしていたフシがあります。

 

周瑜が没してから、時間が経過するほど、その子孫に対する扱いが

厳しくなるように見えるのは、その原因が大きいかも知れません。

 

関連記事:なんで孫策と周瑜が義兄弟の契りを結んだの?その驚くべき理由とは?

関連記事:呉の大都督、周瑜の魅力がありあまり過ぎて困る7つの理由

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 朝まで三国志 劉備 【三顧の礼】演義の劉備は誰でも口説くあわてんぼう!
  2. 呂布 呂布の身長はどれくらい??三国志の豪傑たちと比較してみた
  3. 皇帝に就任した曹丕 【第三次濡須口の戦い】曹丕の火事場泥棒から起きた最期の激戦
  4. 関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟 桃園三兄弟の別れ 関羽の死から夷陵の戦いまでを辿る
  5. 騎馬兵 騎馬軍団 2話:無敵の騎馬軍団を初めて軍に取り入れた趙の武霊王
  6. 曹仁 曹仁が最強の将軍たる所以とは?チート級の武勇を紹介
  7. ここを押さえれば大丈夫!NHK大河ドラマ『真田丸』を100倍楽し…
  8. 【三国志の疑問】どうして宦官は消滅しなかったの?

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. はじめての三国志
  2. 曹操と鶏肋
  3. 信陵君
  4. 爽やかな荀彧
  5. 張飛の男気人生
  6. 悪い顔をしている諸葛亮孔明
  7. 3000人の配下で孔明の庵を包囲する武闘派な劉備

おすすめ記事

  1. 三国時代の黄夫人(黄月英)とは、実際にいた人? 黄月英
  2. これは本物…?稀代の奇人変人・禰衡のやらかしエピソード集
  3. 【蜀の建国~滅亡まで】蜀の国を背負って戦い続けた丞相【孔明編】 孔明
  4. 三国志や古代中国史を科学的視点から丸裸にする良記事まとめ7選
  5. 荊州奪還戦!実質的に関羽の首を取ったのは呂蒙ではなく陸遜だった? 関羽を油断させる陸遜
  6. 景帝とはどんな人?「文景の治」の一角を担った前漢の第6代皇帝 景帝(けいてい)は前漢の第6代皇帝

三國志雑学

  1. 李儒と三国志
  2. 騎馬兵にあこがれる歩兵


“はじめての三国志コメント機能" “はじめての三国志150万PV" “はじめての三国志Youtubeチャンネル" “広告募集" “誤字・脱字・誤植などの報告フォーム"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 孔明
  2. 劉邦と陳平と張良
  3. ピストルを乱射する坂本龍馬
  4. 呂布を心配する張楊(ちょうよう)
  5. 蜀の厳顔
  6. 陶謙

おすすめ記事

甘寧 裏切る ゆるキャラ 武才だけではない!?先見の明を併せ持つ甘寧 87話:劉備、蜀への侵攻を決意 張良と劉邦 張良(ちょうりょう)とはどんな人?高祖劉邦の右腕として活躍した天才軍師(2/3) 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース17記事【11/7〜11/13】 はじめての三国志からのお知らせ バナー 「月刊はじめての三国志11月号」10月26日(金)に出版決定 荀彧 荀彧は三国志の中でもトップクラスの名門だった件 あの張飛がデレデレ?張飛が愛した愛馬 関興と張苞 関羽・張飛・趙雲の息子達は勇将だったの?蜀の二代目特集

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集 誤字・脱字・誤植などの報告フォーム はじめての三国志コメント機能
“西遊記"

“三国志人物事典"

“はじめての三国志PR募集陸遜"
PAGE TOP