「人中の呂布(りょふ)・馬中の赤兎(せきと)」と評された三国志一番の強さを誇っていた呂布(りょふ)。
彼は董卓(とうたく)を殺害した後に各地を放浪した後、
陳宮と一緒に兗州(えんしゅう)で曹操の部下達を誑かして対決することになります。
曹操軍とは一進一退の戦いを続けていた呂布ですが、
兵糧不足が原因で曹操軍に敗北して敷いまい徐州(じょしゅう)へ逃亡。
この地を治めていた劉備に対して反乱を起こして徐州を領有することになりますが、
最後は味方に裏切られて亡くなってしまいます。
裏切りに裏切りを重ねてきた人物ですが、
意外にも朝廷や皇帝に対してはかなり従順な態度を示していた事を知っておりましたか。
今回は呂布の意外な一面をご紹介していきたいと思います。
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皇帝から手紙をもらう呂布
後漢王朝の皇帝となっていた献帝(けんてい)・劉協(りゅうきょう)。
彼は李傕(りかく)や郭汜(かくし)らに追い立てられて困窮している状態でしたが、
白波賊(はくはぞく)や皇帝の側近であった董承(とうしょう)らの協力によって、
なんとか危機を脱出します。
しかし皇帝はかなり困窮している状態であったため各地の豪族達へ手紙を送り、
「助けてくれ~」と救援信号を送っておりました。
この手紙は徐州(じょしゅう)を領有していた呂布にも送られてきます。
呂布はこの手紙を受け取ると小躍りするほど嬉しかったのですが、
皇帝がいる河東(かとう)へは兵糧の蓄えがなかったため自軍の現状を説明する手紙を送ります。
皇帝は呂布から手紙をもらうと将軍の位と侯の位を彼にさずけることにします。
曹操からも手紙をもらう
曹操は劉協を保護すると皇帝に手紙を出していた呂布へ曹操からも手紙を出します。
彼は呂布へ「呂布将軍の勤王の志あっぱれであると考えております。
私は今皇帝陛下を保護しており、後漢王朝を立て直すために公孫瓉(こうそんさん)、袁術らの
群雄達を討ち滅ぼして天下を統一しようと考えており、
呂布将軍にも手伝っていただきたと思っております。」とベタ褒めします。
この手紙をもらった呂布はめちゃくちゃ喜び曹操へ
「私はあなた様と戦ったことがあり、いつ処罰を受けてもいい人間です。
しかしあなた様は私を褒めてくださいました。
そして現在袁術を討伐しようと考えていることを教えていただきましたので、
力の限り戦っていきたいと考えております。」と自らの意気込みを返信。
また呂布は皇帝にも手紙を送っております。
皇帝に従順な姿勢を見せる呂布
呂布は皇帝に「私は皇帝陛下を迎えに行かなくてはならなかったのですが、
曹操が皇帝陛下を迎えたことを知ったため私が迎えに行くことは遠慮させていただきました。
以前私は曹操と戦を行っているため、皇帝陛下からいつでも処罰を受ける所存であり、
私がどのような行動をとればいいのか判断に迷っている状態です。
ぜひ私にどのような行動をとればいいのか教えていただきたく存じます」と
後漢王朝の朝廷や皇帝に対してすこぶる従順な態度を取っておりました。
義父であった丁原(ていげん)を殺害して董卓軍に加わり、
反董卓連合軍の軍勢と戦っていた頃の呂布とは違う人間なのではないかと
疑いたくなるほど従順な姿勢を見せている呂布でした。
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三国志ライター黒田レンの独り言
各地の群雄からどのような行動を起こすかわからない人物として疑われ、
戦では巧妙な戦をして無類の強さを発揮した呂布。
そんな彼が猫のように皇帝や後漢王朝の朝廷に従順な姿勢を見せていると
ちょっと呂布に愛らしささえ感じてしまうのは私だけでしょうか。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書2 今鷹真・井波律子著など
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