【占いで見る三国志】曹魏が倒れることが曹叡の時代に予言されていたってホント!?

2017年2月12日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

曹叡

 

魏の二代目皇帝曹叡(そうえい)

彼の時代はおじいちゃん・曹操、父曹丕によって魏の基盤はしっかりとしており、

呉や蜀を圧倒している状態でまだまだ滅びそうな気配はありませんでした。

だが魏の国内では相次いで曹魏が倒れるような文言が書かれている石が発見されているのです。

 

関連記事:【新企画】朝まで三国志を開催!夜22時~朝6時までノンストップ特別企画!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



涼州の奥地で発見された謎の宝石

 

涼州の奥地にある張掖(ちょうえき)という場所で川が氾濫を起こします。

この時に亀の形をした宝石が出現。

この宝石は非常に大きく広さ・約4メートル。長さも約4メートルと巨大なものでした。

この亀の中には馬や欠けた玉などが入っており、東にキリン、西に鳳凰、南に白虎、

北に牛(え!?聖獣できているのに最後牛??)が陳列されておりました。

そしてこの東西南北の中央に馬が陳列せれており、

南方の馬の背にある文字が書かれておりおりました。

その文言は「大いに曹を討つ」です。

これを誰が書いたのか役人は捜索するのですが、犯人は一切不明でありました。

上記は魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)という書物に書かれている逸話です。

 



他の書物でも発見される「曹を討つ」文字

 

 

捜神記(そうじんき)と言う書物にも「曹を討つ」エピソードが残っております。

このエピソードの舞台も涼州の奥地である張掖です。

張掖で石が発見されてるのですが、この時には何も文字が書かれていない状態でした。

しかし曹叡の時代になると次第に文字が勝手に書き込まれていき、

太和(たいわ)初年になると文章となって浮かび上がってきます。

この文章に書かれていた文字も魏氏春秋と一緒で「曹を討つ」と刻まれておりました。

 

漢の元帝時代から予言されていた

趙達

 

上記のエピソードですがこれは三国志よりも以前の時代から予言されていたそうです。

前漢の10代目皇帝となる元帝(げんてい)の時代優れた占い師達はそれぞれ同じこと述べており、

「魏の時代の和が入った年号の時に『大いに曹を討つと刻まれた石』が

発見されることになるであろう」と予言していたそうです。

しかし前漢時代にこのような予言があっても果たして信じる人がどれだけいたのでしょうか。

多分ほぼいなかったでしょう。

 

これらの予言は司馬氏によって曹氏滅亡を暗示していた

曹操

 

魏氏春秋や捜神記に書かれていた「大いに曹を討つ」という文言ですが、

これは何を示していたのでしょうか。

もし本当に上記の文言が宝石や石に書かれていたのであれば、

それは曹氏滅亡を案じていたのではないのでしょうか。

後世の私達が言えるのは結果を知っているので簡単ですがここでまとめると

「大いに曹を討つ」=司馬氏が魏王朝を終わらせて天下を統一し晋王朝を樹立

という事になるでしょう。

しかし当時の人々から三国に中華が分裂している状態でも天下はまだまだ魏が最強であり、

どこの国に曹魏を討つような国が出現することになるのか不思議でしょうがないと

感じていたのではないのでしょうか。

それでも一部の役人は信じてしまうことになってしまったそうです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02a

 

明帝・曹叡の時代よりも前の時代。

袁術は後漢王朝が存在しているのにも関わらず怪しげな預言書を信じて、

皇帝の位を名乗ってしまいます。

その結果、彼は四方の群雄からフルボッコにされてしまい滅亡することになるのですが、

袁術に野望があったにせよ当時の預言書は中国人にとって信じやすい書物でした。

また後漢王朝を築いた初代チート皇帝である光武帝・劉秀(りゅうしゅう)も

預言書を信じていた一人です。

ですが歴史書は後世付け足すことも可能ですので、

これらのエピソードが果たして本当にあったのかどうかは確かめることができないので、

真実はまさに歴史の闇の中に埋もれてしまっております。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 三国志 魏書1 今鷹真・井波律子著など

 

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-曹叡
-