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成廉(せいれん)と魏越(ぎえつ)とはどんな人?呂布が強いのは俺達がいてこそ!

2017年2月25日


 

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主役が輝くのは魅力的な脇役がいてこそと言えるでしょう。

例えば、タイムボカンシリーズの三人組、ドロンジョ様におけるところの、

ボヤッキー、&トンズラー、水戸黄門における助さん、格さんのように、

脇役の存在が、主役を引き立てる結果になるのです。

さて、そんな脇役、人中の呂布と言われた呂布(りょふ)にもいたります。

一見、たった一人で天下無双に見える呂布ですが、そのちょっと後ろでは、

呂布を目立たせるべく奮闘した成廉(せいれん)魏越(ぎえつ)がいたのです。

 

 

ところで袁術祭りや、朝まで三国志、はじめてのストライキなど、

中の人がやたら目立ちたがる、我がはじめての三国志は、

信じられない事に2017年1月で95万PVに到達しました。

これもおバカな事に付き合ってくれた読者ちゃんのお陰です。

100万PVまで、もう少し、これからも応援よろしくね。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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将軍の背後は、任せとけ、成廉と魏越!

 

成廉と魏越には、単独の伝はありません、しかし、後漢書、呂布伝、

三国志 魏書 呂布伝、武帝紀(ぶていき)などにポツポツと登場しています。

呂布の配下には、張遼(ちょうりょう)高順(こうじゅん)もいますが、

彼等はどちらかと言うと、単体で呂布にくっついている印象を受けます。

 

それに比較すると、成廉と魏越は、ボディーガードのようであり、

グラディウスの自機の周辺をくるくる回るバリアのように、

絶えず呂布に付き従っている感じなのです。

 

呂布の武勇を轟かせた黒山賊の討伐

 

呂布の名を高めた戦いは、幾つかありますが、その派手さにおいて、

他の追従を許さないのが、黒山賊(こくざんぞく)百万に戦いを挑んで、

これを解散させてしまったという戦いぶりでしょう。

 

長安を追われて、各地の諸侯の間を流れていた呂布は袁紹(えんしょう)

世話になった時、袁紹が手を焼いていた黒山賊の討伐を命じられます。

黒山賊は張燕(ちょうえん)が大将で、号して百万の大軍、騎兵も数千騎擁し

勢い盛んで傍若無人でした。

 

 

しかし、呂布はこれを鼻で笑い、僅か数十騎で奇襲をかけて、

何度も黒山賊を打ち破り、その度に数十もの賊の首を持って帰ります。

これが十数日も続いたので、とうとう黒山賊は恐れをなし自壊してしまい

消滅してしまったのです。

 

呂布は赤兎馬を駆り、塹壕を越え、疾風のように戦場を駆け、

人中の呂布、馬中の赤兎というニックネームがつけられました。

 

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黒山賊との戦いでは、成廉と魏越が側についていた

 

しかし、この黒山賊との戦いは、呂布一人の手柄ではありません。

その呂布にぴったりとくっついた成廉と魏越がいればこその、

手柄だったと言えるのです。

 

三国志魏志、呂布伝にはしっかりと二人の名前が出てきます。

 

布有良馬曰赤兔 常與其親近 成廉魏越等 陷鋒突陳 遂破燕軍

翻訳:呂布に名馬あり、赤兎と言う、常に付従う親衛の成廉と魏越があり

敵陣を突き破り陥落させ、ついに張燕の軍を破る。

 

このように、この両名は呂布に近しい親衛として活躍しているのです。

ですが、この中で魏越は以後、名前が出てこなくなります。

或いは、この戦いで負傷し離脱したか戦死したかもしれません。

 

もう一人の将、成廉は曹操に捕えられる

 

一方の成廉は、その後も生き残りますが、西暦198年、下邳において、

呂布が曹操(そうそう)と戦った時に破れ、曹操に捕らわれてしまいます。

以後、名前が出てこない事から、降伏を拒否して処刑されたのでしょう。

呂布の親衛という位ですから曹操に降伏していれば、名前を史書に

残すのが充分可能な程の武勇はあったと思います。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

呂布の配下には縁戚関係の魏続(ぎぞく)がいて彼が曹操に内応した事が、

呂布が敗北して曹操に捕まる直接の理由になりますが、

或いは、魏越は、この魏続の血縁だったのかも知れません。

この魏続ですが、曹操に降伏した割に、その後の消息が不明です。

 

或いは、主君を裏切る者を信用できるかという曹操の判断で、

処刑されてしまったかも知れません。

 

成廉にせよ、魏越にせよ、史書には驍(ぎょう)将、健(けん)将と

冠があり大変に勇敢な武将だったようです。

呂布が長安を脱出した時、付従う騎兵は数百だったそうですが、

おそらく呂布が鍛え上げた直属であり、放浪の時期に呂布が強さを発揮したのは

或いは、彼等のお陰かも知れません。

 

成廉も魏越もそんな呂布の手足のような騎兵達の一人だった、

そういう事かも知れませんね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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