曹操の後継者問題で判断に迷ったのは儒教と文学に原因があった?


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三国志の英雄・曹操(そうそう)

彼も人の親であったのか曹丕(そうひ)曹植(そうしょく)どちらを後継とするかで非常に悩みます。

結果的には後継者を曹丕にしたことで一件落着となるのですが、

なぜ曹操は曹丕と曹植どちらを後継者にするかで迷ったのでしょうか。

いつも果断に物事を判断する曹操なのにです。

その原因は儒教と文学に原因があったかもしれません。

 

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曹操が立ち上げた建安文学と人事評価

 

曹操は自らが中心となって「建安文学(けんあんぶんがく)」を立ち上げます。

この文学は儒教の型に当てはめた従来の詩や礼楽を作る物ではなく、

自由に誰でも詩を作ることの出来る新しい文学として誕生します。

そして曹操はこの建安文学を用いて儒教に変わる物として位置づけるため、

従来の人事評価は儒教中心とした物でしたが、

建安文学誕生後は儒教を人事の評価基準とするのではなくて、

自らの志等を詩にして読み上げることでその人物がどのような志を持っているのか。

この点を重視して人事評価をくだしていくことになります。


後継者で悩む曹操

 

曹操はこうして建安文学を立ち上げ、

儒教に対抗する文化的価値を建安文学に見出していこうとします。

そんな中自らの後継者を決めていかなくてはならない大事な時期に差し掛かってきます。

有力な後継者候補は曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)でした。

曹丕・曹植ともに優れていたものを持っており、曹植は文学的な才能に恵まれておりました。

曹操は建安文学を儒教に取って代わる文化的価値として見出していこうとしていたので、

曹丕の冷徹に遂行する政治能力よりも曹植の文学的才能に重きを置いていこうと考えます。


儒教では長幼の順番を覆すのはよくない

 

儒教国家として数百年君臨していた後漢。

名士たちもすっかりと儒教に取り込まれており儒教を中心とした考え方が身についております。

後継者問題についても曹操軍の中の名士と言われる人達は

「長幼の順番を覆すのはよくない。曹丕様が王の後継者となるのは必然でありましょう」と進言。

曹操もこの進言を聞いておりますが、後継者を中々決めることはできませんでした。


迷いに迷って曹丕に決める

 

曹操は結局迷いに迷って曹丕を自らの後継者として任命します。

曹丕が曹操の後継者となった決め手は一体どこにあったのでしょうか。

それは群雄が生き残っていたことが決め手であったと思います。

曹操は赤壁の戦いで孫呉と劉備を滅ぼすことができていれば、

間違えなく曹丕を後継者として選ぶことはなく曹植を後継者に選んでいたことでしょう。

そして名士達の考え方の底にある儒教的価値観に対抗して、

建安文学を推し進めていくように曹植へアドバイスをしていたことでしょう。

しかし赤壁で敗北してしまったことで孫呉は勢力を伸ばし、

劉備軍もまた勢力を伸ばすことになってしまいます。

そのため天下統一を行うためには名士達の協力は必要不可欠な状態であり、

孫権・劉備の勢力を滅ぼしていくためには建安文学を推進して儒教に対抗して、

名士達の反発を受けながら改革を実行していくのではなく、

名士達と協力してくことに重点をおいて行っていかなければなりません。

この名士達と協力していく事に重きを置いた結果、

司馬懿・陳羣などの名士から支持されている曹丕を曹操は後継者にしたのではないのでしょうか。

 

関連記事:曹丕は幼い頃から父・曹操に戦へ連れて行かれてあの激戦も参加していた!

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

曹操の後継者問題を違う角度から見ることで当時の名士と儒教がいかに密接であり、

政権を安定させるために必要不可欠なものであったかを

垣間見ることができるのではないのでしょうか。

それにしても改革者曹操であっても儒教と名士に配慮しなくてはならない程、

当時の儒教と名士の力がいかに強かったかを知ることができるのではないのでしょうか。

 

参考文献 SB新書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など

 

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曹操孟徳

 

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