【意外な事実】劉備は孔明よりも法正を用いてた

2017年3月17日


 

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三顧の礼を尽くして劉備は孔明を配下に加えます。

赤壁の戦い後益州の劉璋(りゅうしょう)政権を打倒して益州を手に入れることになりますが、

益州を取るきっかけを作ったのは法正(ほうせい)張松(ちょうしょう)の誘いがあったからです。

 

 

そのため劉備は益州を統治するにあたって孔明よりも法正に重きを置いていたそうです。

なぜ劉備は孔明よりも法正に重きを置いていたのでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明よりも法正を重用していく

 

劉備は益州攻略を完了すると今まで孔明に重きをおいておりましたが、

法正を重用していくことにします。

彼はなぜ三顧の礼を尽くしてまで自らの配下に加えた孔明を重用していくのではなく、

孔明と仲があまり良くなかった法正を重用していたのでしょうか。

 



劉巴問題が原因

 

孔明は劉備とともに益州に入ります。

その後益州の名士達の人事を決めていくことになるのですが、

この時劉備とある人物の活用において揉め事が発生。

劉備と孔明が喧嘩することになった人物・・・・それは劉巴(りゅうは)です。

劉備は当初彼を起用しようと考えておりましたが、彼に逃げられてしまいます。

しかし劉備は益州を攻略した際に劉巴を登用して自らの政権に組み込むことにします。

ならば孔明と劉備が喧嘩する理由が無いように思えるのですが、

ある発言がきっかけで劉備は劉巴に激怒してしまいます。

劉巴は張飛が家に遊びに来た時に一切彼をもてなそうとしませんでした。

そして彼は張飛に対して「お前みたいな兵隊と話す口をもたん」と言って追い返してしまいます。

このことを聞いた劉備は激怒し劉巴を嫌いになってしまいます。

しかし孔明は劉巴の能力を買っており彼を用いて行こうと考えておりました。

だが劉備は義兄弟である張飛を馬鹿にした劉巴を嫌ってしまったことから、

劉備と孔明は劉巴を活用してくことについて意見が対立してしまい、

喧嘩することになってしまいますが、

孔明は強引に劉巴を要職につけて劉備政権内で活用していきます。

劉備は孔明が強引に劉巴を要職に就けたことの対抗策として、

孔明と仲が悪かった法正を重用していったと考えられます。

 

法正びいきの劉備

 

劉備は法正をどのくらい重用していたのでしょうか。

漢中討伐戦では孔明を戦場に連れて行くのではなく法正を軍師として戦場に連れて行き、

漢中から曹操軍を追い出すことに成功すると劉備は漢中(かんちゅうおう)に就任。

劉備は多くの人材を新しい官職に付けていくことになり、

孔明も軍師将軍と言う位を与えられることになります。

しかし法正には尚書令(しょうしょれい)に任命され孔明よりも政権に近い官職を

与えられることになります。

 

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やりたい放題する法正を抑えられない孔明

 

法正は漢中討伐以前から劉備の信用を得ておりました。

そのため彼は劉備から気に入られていることを利用して、

自分に楯突いたり、劉璋政権時に讒言を用いて法正を使わないように言った者達へ復讐を開始。

この復讐は法に照らせば法正が処罰されなくてはならないものが数多くあったのですが、

孔明は法正を止めることができませんでした。

その原因は劉備に気に入られていたからです。

こうして孔明よりも劉備に信用されていた法正は復讐を行って以前の恨みを晴らしていくのですが、

孔明は劉備のお気に入りである法正を止めることができませんでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

しかし法正が短命であったことで、劉備は再び孔明に頼らざるを得なくなります。

こうして孔明は益州の政権で実直に政治を行っていくことになるのです。

もし法正が短命ではなかった場合どうなっていたのでしょうか。

関羽死後に起きた夷陵(いりょう)の戦いも孔明の意見(孔明が直接劉備にいうのではなく、

益州の名士に言わせた)は通りませんでしたが、

劉備のお気に入りである法正の言葉であれば劉備も耳を傾けていたかもしれないと

孔明は言っております。

また劉備が孔明に対して言った遺言も、もしかしたら法正に言っていたかもしれず、

法正が主導となって益州を治めていた可能性は十分にあったのではないかとレンは考えます。

 

参考文献 SB新書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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