唐の時代に出現する李白(りはく)・杜甫(とほ)。彼らは詩聖(しせい)と称された天才文学者ですが、曹植(そうしょく)は彼らが出現するまで、詩聖と言われる程の文学者でありました。そんな天才文学者を口喧嘩で「参った!!」と言い負かした人物がいたのをご存知ですか。
曹植を言い負かした人物の名を韓宣(かんせん)と言います。彼はどのようにして曹植を言い負かしたのでしょうか。
この記事の目次
曹操に召し出されるも仕事がなかった
曹操は韓宣を鄴(ぎょう)に召し出して官職を与えます。彼が与えられた官職は軍謀掾(ぐんぼうえん)と言う官職でしたが、当時はあまり仕事がなかったようでブラブラ鄴の街で遊んでいたようです。そんなある日彼は仕事で宮中に呼ばれることになり向かうととある人物に出会います。その人物は詩聖と呼ばれることになる文学の天才・曹植でした。
雨が降っていたから脇に避けなかった事が原因で・・・・
韓宣は曹植と宮中の門で出会います。普通位の高い人物と遭遇した場合、その人の通る道を避けなければ礼を失していると言われてものすごく怒られてしまいます。しかし韓宣は曹植と出会った日は雨がザーザーぶりで、道路がぬかるんでいたため避ける事のが難しい状態でした。そのため彼は扇で自らの顔を隠してその場をやり過ごそうとします。曹植は扇で顔を隠している人物が道を避けずにその場に立ち尽くしている様を見て激怒。車を止めて彼に文句を言いに行きます。
韓宣vs曹植の戦いその1:きつい反撃を食らう曹植
曹植は部下へ「やつの官職を聞いてこい」と命令します。部下は韓宣の元へ行って官職を聞いてくると曹植へ「軍謀掾だそうです。」と報告。曹植はすぐに車から顔を出して韓宣へ「貴様。列侯を邪魔していいと思っているのか」と怒鳴りつけます。すると韓宣は「王の直臣は諸侯の上にあるとされており、田舎の諸侯へ礼をしっかりと示さなければならないとは聞いておりません。」と反論。この韓宣の言い方に激怒して曹植は再び韓宣に質問します。
韓宣vs曹植の戦いその2:再び痛撃な反論を位諦めて逃亡してしまう
曹植は韓宣の物言いに激怒して再び車から「貴様の言うことが正しかったとしてもだ。父親の役人として仕事をしているのにその父の息子に会えば礼を示すのが普通だろう」と聞き返します。すると再び韓宣は「礼において臣と子は同列です。それに加えて私のほうが年齢は上でありますのになぜ礼を示さなければならないのでしょうか。」と再度反論されてしまいます。曹植はこいつを屈服することができないと考えて彼を放置して逃亡。そして曹丕に会うと韓宣との出来事をすべて報告するのです。曹植が韓宣の事を曹丕に告げたことによって後日彼の命が助かることになります。
処罰を受ける間際に・・・・
曹丕(そうひ)が皇帝として就任した時、韓宣は職務上の過失によって処罰されるところでした。ちょうど韓宣が処罰される頃、曹丕がたまたま処罰するところを目撃。彼は処罰されそうになっている韓宣を見つけると「名前を何と言うのだ」と質問。すると韓宣は自らの姓名を大声で述べます。曹丕は昔曹植が口喧嘩で勝つことのできなかった人物の名を思い出し、
「やつには才能があるから逃がしてやれ」と言って釈放させたそうです。こうして韓宣は処罰されることなく曹叡(そうえい)の時代まで曹魏に仕えることになるのです。
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三国志ライター黒田レンの独り言
天才文学者・曹植が口喧嘩をして勝つことのできなかった人物がいた事を皆さんは知っていましたか。かなりマイナーな文官であるのでほとんどの方は知らなかったのではないのでしょうか。韓宣がかなりの知識を持っていたからこそ曹植と口喧嘩をして勝つことができ、曹植も自分を言い負かすことのできる人物の才能を曹丕に語ったからこそ、彼は処罰されることなく曹叡の時代まで曹魏の臣下として仕えることができたのでしょう。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三國志魏書4 今鷹真・井波律子著など
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