郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)はどんな人?呂布の配下で猛威を振るった八健将

2017年12月13日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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演義での二人の初陣

 

 

三国志演義では八健将のメンバーは呂布(りょふ)と曹操(そうそう)の戦いである

「濮陽の戦い」で初めて登場します。

曹操(そうそう)が父親の仇を討つ為に徐州に攻め入ろうとしますが、

空になった本国を呂布(りょふ)に攻められます。

曹操(そうそう)は呂布(りょふ)に応戦するため引き返し、濮陽の戦いが始まります。

 

郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)らは、

呂布(りょふ)の参謀である陳宮(ちんきゅう)の計で一時は

曹操(そうそう)を追い詰めることができました。

しかし、幾度となく続く戦いで呂布(りょふ)軍は

濮陽の豪族である田氏(でんし)から裏切られ、城から追い出されてしまいました。

 

演義:呂布、曹操&劉備と敵対

 

敗北した呂布(りょふ)は当時目立った接点もない小沛城の劉備(りゅうび)の元に落ち延びます。

ここで、裏切りのプロ(?)の呂布(りょふ)が劉備(りゅうび)を出し抜き、徐州を手に入れます。

 

呂布(りょふ)はその後、曹操(そうそう)と劉備(りゅうび)らとの戦いを開始しました。

劉備(りゅうび)らに攻撃する呂布(りょふ)軍を討とうと曹操(そうそう)も軍勢を差し向けます。

曹操(そうそう)軍からは、夏侯惇(かこうとん)

夏侯淵(かこうえん)、呂虔(りょけん)、李典(りてん)らを向かわせ、

対する呂布(りょふ)軍から高順(こうじゅん)、

侯成(こうせい)、郝萌(かくぼう)、曹性(そうせい)らが迎えうちました。

 

演義:曹性の最後

 

乱戦の最中、高順(こうじゅん)は夏侯惇(かこうとん)と四、五十合打ち合いましたが、

押し負けて逃げだしました。

追いすがる夏侯惇(かこうとん)に対して、曹性(そうせい)は矢でその左目を射当てます。

しかし、夏侯惇(かこうとん)は矢を引き抜くと、その目を喰らい、

曹性(そうせい)目掛けて馬を飛ばすと彼の顔面に槍を突きたてました。

乱戦の中で、曹性(そうせい)は壮絶な最期を遂げました。

大将が負傷した曹操(そうそう)軍は敗走しました。

とはいえ、将たる力に勝る夏侯惇(かこうとん)に対して、

曹性(そうせい)は文字通り”一矢”報いたという感じでしょうか。

 

演義:使者の護衛を担う郝萌

 

その後、部下の裏切りにあった呂布(りょふ)軍は城を次々に失い、

最後に残った下邳の城に逃げたものの、城も囲まれピンチに陥ります。

そこで、再び袁術(えんじゅつ)への娘の縁組と救援の使者を送ることにしました。

その際、八健将の郝萌(かくぼう)が使者の護衛役を務めました。

 

演義:郝萌の最後

 

帰り道の道中、劉備(りゅうび)らの陣屋の付近を通った際に、

張飛(ちょうひ)に見つかってしまいました。

使者は先に逃げることができましたが、

道を遮られた郝萌(かくぼう)は張飛(ちょうひ)に立ち向かいますが、

一合の元に生け捕られてしまいました。

その後、郝萌(かくぼう)は問い質され縁組の件を話してしまいます。

怒った曹操(そうそう)によってその首を本陣の入り口で刎ねられてしまいました。

郝萌(かくぼう)の捕獲から袁術(えんじゅつ)との繋がりが露見し、

より一層囲みが強くなり、その後囲みの中で呂布(りょふ)軍は敗北しました。

 

三国志ライターFMの独り言

 

 

演義は物語という側面が強いためか、

曹性(そうせい)は夏侯惇(かこうとん)により凄惨な最期を遂げ、

郝萌(かくぼう)は張飛(ちょうひ)に一合で捕獲される等、脇役のような立ち位置となっています。

一方の正史の郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)の生き方を見ると、

裏切りに裏切りが重なり乱世という様子が見えますね。

物語等では脇役ですが、正史では『各々が主人公』、といいますか、

それぞれの"生き様"を感じますね。

 

関連記事:呂布の配下、八健将(はちけんしょう)とはどんな人たち?

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。 人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。 埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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