三国志の蜀(しょく)建国の功臣・諸葛亮(しょかつりょう)が愛唱していたという梁父吟(りょうほぎん)。その歌の歌詞を分析すると、諸葛亮の仰天プランが見えてくる!なんと、劉備(りゅうび)も曹操(そうそう)も孫権(そんけん)も、まとめて消去!?
梁父吟(りょうほぎん)ってなに?
蜀(しょく)を建国した劉備(りゅうび)オヤビンに仕える前は、諸葛亮(しょかつりょう)は田園に庵をむすんで隠遁生活をしていました。その頃にちょくちょく口ずさんでいたと言われているのが、梁父吟。どんな歌詞かと言いますと……
【原文】
歩出斉城門 遥望蕩陰里
里中有三墳 累々正相似
問是誰家墓 田疆古冶子
力能排南山 又能絶地紀
一朝被讒言 二桃殺三士
誰能為此謀 国相斉晏子
【書き下し文】
歩(ほ)して斉(せい)の城門を出(い)で 遙かに蕩陰(とういん)の里(り)を望む
里中(りちゅう)に三墳(さんふん)有り 累々(るいるい)として正(まさ)に相(あ)い似(に)たり
問う是(こ)れ誰(た)が家の墓ぞ 田疆(でんきょう)古冶子(こやし)
力は能(よ)く南山(なんざん)を排(はい)し 又(ま)た能(よ)く地紀(ちき)を絶つ
一朝(いっちょう)に讒言(ざんげん)を被(こうむ)り 二桃(にとう)三士(さんし)を殺す
誰(たれ)か能(よ)く此(こ)の謀(はかりごと)を為(な)す
国相(こくしょう)斉(せい)の晏子(あんし)なり
これの素晴らしい訳文は過去記事にございます↓
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梁父吟ってどんな内容?
梁父吟は、斉(せい)の晏子(あんし)の知謀を讃える内容となっております。むかぁしむかし、斉の国に、力自慢で威張りくさっている士が三人おったとさ。宰相の(あんし)は彼らを野放しにしては国が脅かされると考えて、二つの桃を用意して、三人の前に差し出したそうな。そしてこう言ったとさ。
「お三人の中で、功績の大きいと思う者が桃をお取りなさい。」すると一人が「わしは大猪や虎の児を素手で撃ち殺したことがある。当然桃をもらう資格があろうの」別の一人が「わしは部下を率いて二度も敵の大軍を退けたことがある。桃をもらおう」最後の一人も「わしは主君の馬車が大亀によって河に引きずり込まれた時、潜水で百歩も泳ぎ、流れに逆らいながら九里も泳ぎ、馬を操り大亀の首をとり河からバーンと飛び出して、びっくらこいた船頭さんから『河伯なり!』と讃えられたものじゃ。お二人とも、桃を返しなされ!」三人はもめにもめた挙げ句、結局三人とも死んでしまったそうな。めでたしめでたし(?)
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二桃殺三士が完成!
相手が三人しかいないのに、桃を二個しかあげないなんて、晏子さんったらいけず!
威張りんぼうの三士の自尊心を利用して、手を汚さずに三人とも抹殺したんですね。いやぁ~、えげつないっすわぁ。もとい、超絶賢いっす。さて、この故事を歌った梁父吟を、若き日の諸葛亮が愛唱していたことにはどんな意味があるのでしょうか。ふつうに考えれば、晏子みたいな名宰相に、俺はなる!っていう志を表明してただけ、という解釈になるんでしょうけれども、私ぁ異常な人なんで、ふつうの考え方なんざしませんぜ
天下三分の計、からの!
諸葛亮が劉備オヤビンに説いて聞かせた「天下三分の計」。天下の北は曹操(そうそう)が占めていて手出しができないから、東に割拠している孫権(そんけん)と手を結びながら、余った土地でオヤビンの地盤を築きましょう、という内容です。
天下を劉備、曹操、孫権の三人で分け合う。三人の士で……。なんだか、不吉な予感がしませんか? ここに二個の桃が現われたら、取り合いっこして三人ともいなくなっちゃいそうな予感が!私はね、まだ誰にも仕えていなかった若き日の諸葛亮が「二桃殺三士」の梁父吟を歌いながら天下三分の計を練り練りしていた時、その胸中には、天下を三つの勢力で割拠させた後に三者とも消して天下統一してしまおうという企みがあったんじゃないかなぁと、そんなふうに考えているんです。
三国志ライター よかミカンの独り言
名士階級の一員でスーパー賢い諸葛亮が、任侠で傭兵隊長の劉備オヤビンにマジに惚れ込んで粉骨砕身働いちゃった、というのは美談ですけれども、ダーク諸葛亮が劉備・曹操・孫権を手玉にとって自分の思う理想の天下統一をなそうと企んでいたっていう想像もちょっぴりエキサイティング。三国志の箸休めにおすすめです!
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