「刮目してこれを見る」の意味は?故事成語辞典


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歴史上の出来事や由緒ある事柄を意味する言葉、「故事」

その多くは中国の史書や古典を出典としており、

それらの「故事」を元にした慣用句表現を

「故事成語」といいます。

 

 

現代でも、「故事成語」は学校の試験や入社試験などで

お目にかかる機会も多く、また、結婚式のスピーチなど、

実際に使うような場面も少なくありません。

 

ちょっと堅苦しいイメージもある「故事成語」ですが、

知っていると人生がより豊かになることも確かです。

そんな「故事成語」の数々を、わかりやすく解説する、

それが「はじめての三国志流・おもしろ故事成語辞典」です。

 

今回は、

三国志ファンにはおなじみ(かもしれない)故事成語、

「刮目してこれを見る」

を紹介しましょう。

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関連記事:韓非が作った故事成語「矛盾と守株」の真の意味とは?


刮目してこれを見る の用例

 

「昨日、高校の同窓会で久しぶりに鈴木君とあったんだけど、

彼、IT会社を起業して成功したんだってさ。

高校時代はパッしないやつだったけど、すっかり立派になって

まさに、刮目してこれを見る、ってやつだね」


刮目してこれを見る 意味

 

「刮目」というのは、「目をこすってよく見る」という意味です。

古い友人知人と久しぶりに会うと、昔とはすっかり変わっていて

驚かされる、なんてことは少なくありません。

 

「刮目してこれを見る」とは

先入観や思い込みにとらわれず、よく見直すこと

という意味の故事成語です。


「呉下の阿蒙」のエピソードで有名な故事成語

 

三国志のファンの方なら、この故事成語で思い出すのは

呉に仕えた武将、呂蒙(りょもう)のエピソードではないでしょうか?

 

正史三国志の一編、「呉志」の「呂蒙伝」に、

『江表伝』(こうひょうでん)という歴史書の記述として

呂蒙のこんな逸話が記されています。

 

呂蒙は数々の功績を戦場で上げた腕っ節の強い猛将でしたが、

現場叩き上げであったため、学問をする機会がありませんでした。

功績によって呂蒙が要職に就くことになった際、

彼の主君である孫権は呂蒙に

「これからは事務を司ることになるのだから、学問をして

見識を広めてみたらどうか?」

言われます。

 

それまで学問などしたこともなかった呂蒙は始めは躊躇して

「軍の仕事が忙しく、読書する時間も取れないかもしれません」と答えますが、

孫権に「主君である私も勉強できたのだから、おまえにできないはずがない」

と諭されてしまい、嫌々ながら勉強を始めることにします。

 

しかし、元来真面目な性格だったのか

その後呂蒙はコツコツと勉強を続けていきます。

 

数年後、蜀の関羽と対抗するため任地に向かっていた魯粛が

武術ばかりで学のない呂蒙に知恵を付けてやろうと彼と面会しますが、

勉学に励んで儒学者にも負けないほどの知恵を付けていた呂蒙から

逆にやり込められ、関羽対策のための策略を教わることになります。

 

呂蒙の変貌ぶりに驚いた魯粛が

「もう、呉にいた頃の蒙ちゃんではないな」

(「呉下の阿蒙にあらず」)

というと、呂蒙は

「日々勉強を欠かさない男は三日遭わなければ見違えるほど変わるものだ」

(「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」)

と答えたとされます。

 

この故事から生まれた故事成語が

「刮目してこれを見よ」

(「刮目して之を見よ」とも)

というわけです。

 

特に日本では、呂蒙の言い回しをそのまま借りる形で

「男子三日会わざれば刮目して見よ」

と記されることも多いですね。

 

この時、魯粛が言ったとされる「呉下の阿蒙」という言葉も、

「いつまでも進歩のない人間」という意味で故事成語として

用いられることも多いですね。

 

このエピソードは三国志演義でも採用されており、

ひろく知られる話になっています。

 

孫権からも賞賛された「呉下の阿蒙」

 

なお、「呂蒙伝」には上記の逸話に続き、

呂蒙の変貌ぶりを知った

孫権の、こんな言葉も記述されています。

 

「人間は歳を重ねるごとに成長するものだが、

呂蒙は富と名声を手にいれながらも、

下手なプライドにこだわることなく勉学に励み

誰もが手本とすべき人物となった。

なんと立派なことではないか」

 

若者が学問を志し、

師について教えを学び体得していく

というのは、ある意味当然の話と言えます。

 

呂蒙が「呉下の阿蒙にあらず」と言われたのは、

彼が功績を立てて出世してもなお、

向上のための努力を惜しまなかったからこそと言えるでしょう。


  

魯粛は呂蒙をナメていた?

 

それにしても、魯粛(ろしゅく)が呂蒙を「阿蒙」と呼ぶのはひどい話です。

 

三国志に登場する人物の名前が

「姓(せい)・諱(いみな)・字(あざな)」から

構成されている、いうのは、

三国志ファンの皆様ならご存知のことでしょう。

 

「諱」は本名を意味しますが、「忌み名」とも表記され、

親や主君でもない限り、その名前で他人を呼ぶことは

非常に失礼なことでした。

 

代わりに、他人がその人物を呼ぶ際に使われたのが「字」です。

呂蒙の字は「子明(しめい)」といい、

通常他人からは「呂子明」と呼ばれました。

 

さらに「阿蒙」の「阿」とは、

通常子どもなどを呼ぶ際に付ける砕けた尊称で、

日本語で言うなら「◯◯ちゃん」といった感じです。

 

他人がその名で呼ぶことが失礼にあたる諱を、

しかも「ちゃん」付けで呼ぶのですから、

「阿蒙」とは実に呂蒙をナメきった態度ではないでしょうか?

 

実際、「呂蒙伝」には、魯粛が呂蒙を軽蔑していたとの表記も

見られます。

 

見下していたはずの相手からやり込められ、

さらには策まで授かってしまったのですから、

魯粛の驚きは並大抵のものではなかったのでしょう。

 

後に、魯粛は呂蒙の母親に挨拶にいき、

呂蒙と朋友の契を結んだとされています。

 

三国志ライター・石川克世の独り言

 

「刮目してこれを見る」は

あくまで良い方向へ成長した人を

賞賛するための言葉ですので、

 

例えば、昔は羽振りが良かった人物の

落ちぶれた姿を見て

「刮目してこれを……」というのは

誤用となりますから、ご注意の程を。

 

それでは、また次回の「おもしろ故事成語辞典」

で、お会いしましょう。

 

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