魏の名将・張遼(ちょうりょう)。
張遼は元・呂布(りょふ)軍の武将として活躍していましたが、曹操(そうそう)に降伏して彼の配下になると各地の戦で活躍していきます。張遼は曹操を主人公にした漫画・蒼天航路(そうてんこうろ)にも登場し、愛馬・跨って戦場を往来している姿が描かれています。今回は蒼天航路を元にして張遼と馬についてご紹介したいと思います。
蒼天航路の張遼が乗っていた馬は黒捷!!
蒼天航路の張遼は孫権が合肥に攻め込んできた際、愛馬・黒捷に乗って、孫権軍を蹴散らしています。黒捷は蒼天航路では黒い馬で気性の荒い馬として描かれていますが、苦手な物もあります。黒捷の苦手な物は武器を持った人間ではなく、水が苦手なんです。
黒捷は張遼と一緒に孫権を追撃していきますが、孫権が河を飛び越えて向こう岸に逃亡した際、張遼も孫権を追っていくため飛び越えようとします。しかし黒捷は首を横に振って前に進もうとしませんでした。このように気性が荒いくせに意外にも水が怖いチャーミングな所がある馬なんです。
正史三国志最強の武将・張遼
蒼天航路では黒捷と一緒にいくつもの戦場を駆け抜けた張遼。正史三国志・魏書張遼伝では彼がどのような活躍が記されているのか。張遼は正史三国志・魏書張遼伝によると曹操に降伏した後、袁紹の息子・袁尚(えんしょう)や袁譚(えんたん)討伐戦に参加し活躍。
また中国の北方に住んでいる異民族・烏桓の討伐戦でも功績を挙げています。しかし上記の張遼の活躍よりもやっぱり張遼と言えば「合肥での戦い」での活躍が一番有名でしょう。張遼は楽進(がくしん)・李典(りてん)らと合肥城(がっぴ)を7千程度の軍勢で守っていましたが、孫権軍10万が攻め込んできます。
張遼は孫権軍の出鼻を挫くため、孫権軍の駐屯地に決死隊で奇襲攻撃を仕掛ける為、決死隊を募ります。張遼の元に決死隊が800人程が集まってきます。張遼は800人の決死隊を率いて太陽が昇ると当時に合肥城から出撃。張遼は孫権軍に突撃すると自らの名前を大声で叫びながら、敵兵をなぎ払いながら前に進んでいきます。
こうして孫権軍の本営に到着した張遼は小高い丘に逃げている紫ヒゲの武将へ「降りてきて戦え!!」ど大声で叫びます。この紫ヒゲの武将こそ孫権でした。孫権はビビって声が出せずにいましたが、状況を確認する冷静さを取り戻して、丘から下を見ると敵軍は少数しかいない事に気づき、張遼軍を包囲して攻撃するように号令をかけます。
張遼は自らの軍勢が包囲されている事を知ると決死隊を率いて撤退。この時張遼は誰ひとり決死隊の兵士を死なせることなく、合肥城へ撤退することに成功し、城内に残っていた楽進や兵士達は歓声を上げて張遼を迎え入れたそうです。孫権は孫呉軍が張遼の奇襲攻撃を受けて出鼻をくじかれ、ついに撤退することにしますが、撤退戦でも張遼の激しい攻撃を受けて、命からが逃げる有様でした。三国志の魏における張遼こそ最強といえ、三国志の武将の中でも最強クラスの武将と言えるでしょう。
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蒼天航路の張遼も最強
正史三国志・魏書張遼伝の張遼がどれほどすごかったのか上記でご紹介しましたが、蒼天航路の張遼も最強クラスの強さを発揮しているのです。蒼天航路の張遼の強さがどれほど凄まじいのかここでちょこっとご紹介しましょう。
張遼は孫権軍が合肥へ攻め込んでくると決死隊を募って、奇襲攻撃を行います。この時張遼は愛馬・黒捷に跨って孫権軍の本営に向かって突撃。張遼は孫権を見つけて攻撃を仕掛けますが、陳武が身を呈して守ったため、なんとか一命を取り留めます。しかし身を呈して守った陳武は張遼の攻撃をかわすことができず一刀両断。こうして張遼の奇襲攻撃は孫権軍の出鼻を挫いて、孫権軍に甚大な損害を出すことに成功するのです。
孫権は張遼軍にボコボコにされやる気が出せず撤退することに決めます。張遼は孫権が撤退すると知ると愛馬・黒捷に跨って孫権を討ち取る為、追撃を開始。張遼は孫権追撃戦で、呂蒙(りょもう)、甘寧(かんねい)、蒋欽(しょうきん)などの孫呉の猛将達を簡単に打ち払い、孫権を討ち取る寸前まで追い詰めます。
しかし孫権は馬に川を飛び越えさせる荒業を使ってなんとか、張遼からの追撃を回避。蒼天航路の張遼は大活躍。張遼と孫権軍の合肥城の戦いは凄まじくド派手に描かれている為、張遼好きな方にオススメのシーンと言えます。
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三国志の英雄達の名馬・関羽編
今回は張遼が蒼天航路に乗っていた名馬・黒捷と張遼をご紹介しましたが、三国志の名将や英雄達は優れた馬に乗って戦場を駆け抜けています。三国志演義では飛将と呼ばれた呂布は名馬・赤兎馬(せきとば)と呼ばれる馬に乗って、戦場を縦横無尽に駆けています。
また関羽(かんう)は呂布が亡くなった後、呂布の愛馬・赤兎馬に乗って戦場を駆け抜け、大活躍しています。関羽や呂布の愛馬がどのような活躍をしたのか詳細を知りたい方は、はじさんで赤兎馬と入力して検索してみてね。
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三国志ライター黒田レンの独り言
今回は張遼の愛馬についてご紹介しました。正史三国志には張遼の名馬の事が書かれていませんでしたが、張遼クラスの武将が普通の馬に乗って戦場を駆けている訳が無いと思うので、正史三国志の作者・陳寿(ちんじゅ)が記載を忘れてしまったのかもしれませんね。
関羽や呂布、曹操、劉備なども名馬に乗って戦場を駆けており、もしかしたら名将や英雄と名馬は、きっても切れない縁が結ばれている可能性があるのかもしれません。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書・小南一郎訳
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