張温vs秦宓宿命の口先合戦勃発?


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三国志における戦乱では兵隊同士の戦いがメインの様ですが、

諸国の王が自身以外の国を如何に味方利用し、如何に出し抜くか、という側面がありました。

そのため、相手の国を説いて味方につけるという場面も見られます。

そうした仕事を行うには弁舌が達者でなければなりません。

 

弁舌を生かして他国を説いて味方につけたというエピソードは

中国古来の話では珍しくありません。

 

その中でも蜀に使えた秦宓(しんふく)は、弁舌に秀でていた逸話が残されています。

今回は秦宓(しんふく)と呉の張温(ちょうおん)の弁舌対決のエピソードの背景をご紹介します。

 

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秦宓の生きた時代

 

秦宓 子勅(しんふく しちょく)は、後漢末から正史に登場しています。

彼は若くして、学問に優れていましたが、詐病を使って仕官を断り続けていました。

正史では、劉備(りゅうび)が益州を平定した後、

劉備(りゅうび)のもとに仕えることとなりました。

 

演義では、蜀の劉璋(りゅうしょう)に仕えていましたが、

劉備(りゅうび)が蜀を取り、劉備(りゅうび)に仕えることとなりました。

その後の蜀は、魏や呉との戦いで、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)

そして劉備(りゅうび)を失いました。

 

孔明(こうめい)は、魏に対抗するため呉と再び手を結ぶため、

使者として鄧芝(とうし)を遣わしました。

彼は見事、呉王、孫権(そんけん)を説き伏せました。

 

孫権(そんけん)は返事の使いとして、呉郡呉県の張温(ちょうおん)、字は恵恕(けいじょ)を遣わし、

鄧芝(とうし)とともに蜀に赴き、誼を結んでくるように命じました。


返礼の使者の来訪

 

孔明(こうめい)は鄧芝(とうし)の成功を確信していたため、

後主、劉禅(りゅうぜん)に返礼の使者に呉と蜀の誼を結ぶように伝えました。

まもなく、東呉から張温(ちょうおん)が鄧芝(とうし)と返礼に参じました。

 

張温(ちょうおん)はやや横柄なところがある人物であったためか、

得意満面の表情で昂然と殿中に通り、劉禅(りゅうぜん)に挨拶しました。

劉禅(りゅうぜん)も錦の敷物を与え、酒宴を設けてもてなしました。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

横柄な張温

 

翌る日、孔明(こうめい)は宴席を設けて、張温(ちょうおん)に言いました。

孔明(こうめい)「先帝は呉と事を構えられましたが、今の陛下は呉王を深くお慕いになられ

旧怨を棄てて末永く誼を結び、協力して魏を討たんとお望みになっておられます。

呉王にも取りなしの程、お願い致します」

 

張温(ちょうおん)はこれに承知しました。

しかし、酒が廻るに従い元来の気性が出たのか傲然と振舞いました。


秦宓と張温の対面

 

また、次の日も劉禅(りゅうぜん)は張温(ちょうおん)に金帛を賜い、

送別の酒宴を設けました。

その酒宴の最中、酔っ払った秦宓(しんふく)が入室しました。

張温(ちょうおん)はそれを見て不快げな顔をしましたが、

秦宓(しんふく)はそ知らぬ顔で軽く会釈して黙って席に着きました。

 

張温(ちょうおん)が咎めるように孔明(こうめい)に秦宓(しんふく)のことを尋ねました。

 

孔明(こうめい)「彼は秦宓(しんふく)、字は子勅(しちょく)という益州の学士です。」

 

張温(ちょうおん)「学士と言っても、本当に学があるものかどうかわかったものではないな。」

 

と揶揄し笑っていると、秦宓(しんふく)が口を開きます。

 

秦宓(しんふく)「蜀では三尺の童子ですら学問をしています、私に学が無いと仰せられるのですか。」

 

張温(ちょうおん)「すると貴公にはどんな学があるのかな。」

 

秦宓(しんふく)「上は天分、下は地理に至るまで

三教九流(三教は儒・仏・道、九流は儒家その他戦国の諸学派の総称)、

諸子百家、およそ通ぜぬものは無く、古今の興廃、

聖賢の経伝(聖人の経書と賢人の注釈)、一つとして学んでいない物はありません。」


  

二人の舌戦の行方は・・・

 

秦宓(しんふく)の発言を聞いた張温(ちょうおん)は、にやりとします。

張温(ちょうおん)としては、自身の歓迎の席にふてぶてしく入室した

秦宓(しんふく)の鼻を明かしてやろうというところでしょう。

 

一方で、秦宓(しんふく)は自身の学士としての力量を示すと同時に、

呉に対して蜀の力を見せるといった場面でもあります。

酒宴の席は一転して、舌戦の場となりました。

 

三国志ライターFMの独り言

 

秦宓(しんふく)と張温(ちょうおん)の問答は、

正史三国志では一語一句逃さず記録したかのように綺麗に残されています。

三国志演義でもその問答の内容は、そのまま採用されています。

今回の記事では、前篇としてその問答の背景はどのようなものであったかをご紹介しました。

後篇では、実際の問答がどのようなものであったかご紹介します。

 

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