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【すっきり解説】曹操の元に徐庶が留まり続けた理由

2018年3月14日


 

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徐庶をゲットする曹操

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で、軍師がいないためにうだつの上がらなかった劉備(りゅうび)

初めて迎えた軍師、徐庶(じょしょ)

劉備の敵役の曹操(そうそう)は、劉備が徐庶の献策で力を増すことを恐れ、

徐庶の母親を自分のところへ招き寄せ、母親を人質のようにして

徐庶を劉備から引き離しました。

 

徐庶の母親は、息子が主君を捨ててきたことを怒り自殺しましたが、

その後も徐庶は劉備のところへは戻らず、母親の死のきっかけを作った

憎いはずの曹操に仕えながら、曹操へは積極的な献策をせずに通しました。

 

これ、とても不自然な態度だと思いませんか?

母親が亡くなり何のしがらみもなくなったのに、

どうして劉備のところへ戻らず嫌々曹操に仕えたのでしょうか。

 

関連記事:63話:去りゆく徐庶が、紹介した大軍師、臥龍、鳳雛って誰のこと?

関連記事:62話:徐庶を手に入れたい曹操、程昱の鬼畜な計略を採用し劉備から徐庶を奪うの巻

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備のところに帰らない理由1:お尻の軽い人と思われたくない

劉備の元に帰らない徐庶

 

徐庶は劉備に仕える前、劉表(りゅうひょう)に仕えようとしていたことが、次のせりふから分ります。

劉景升(りゅうけいしょう)(劉表のこと)が賢者を招いていると聞き、わざわざ会いに行きましたが、

いろいろ議論してみたところ役に立たない者であることが分ったため、

置き手紙をして出て参りました」

 

置き手紙をして出てきたということは、一日面接に行っただけというわけではなく、

少し泊まってプチ食客みたいになっていたのでしょう。

自分から売り込みに行ったのに、感じよく迎えてくれた劉表を徐庶は「使えねえオッサンだ」と

見限って、一宿一飯の恩に報いることなく劉備に鞍替えしたということです。

 

劉備にも感じよく迎えられ、献策はすいすい聞き入れられ、何一つ不満のない

軍師ライフを送っていた徐庶ですが、ママが曹操に捕まってピンチということになり、

やむなく劉備のもとも去ることになりました。

仕方ない事情であるとは言え、これで主君を捨てるのは二度目です。

曹操

 

さて、「ママー!」と慌てふためいて曹操のところへ行くと、曹操は

「あなたのような素晴らしい方がどうして劉備などに仕えていたのですか」

「お母上がこちらにおられるので、ここにいて下されば親孝行もできるし私も

お力を借りられるというものです」と徐庶を大歓迎します。

徐庶のママが亡くなった後には曹操は弔問(ちょうもん)したり贈り物を送ったりと真心対応をしており、

これまたプチ食客のような関係になってしまっています。

 

これまで二度も主君を捨てた徐庶、ここで曹操を捨てると三度目になってしまいます。

一度目は初めてだからしゃあない。二度目はママが心配だったからしゃあない。

でも三度目は、さすがにだめです。

尻軽徐庶のレッテルを貼られては、人格的な評判が出世に直結する三国時代では

やっていけません。

心は劉備のところにあっても、身体は曹操のところに残るしかなかったのです。

 

劉備のところに帰らない理由2:帰っても自分の活躍の余地がない

帰っても自分の活躍の余地がないのは孔明がいるから

 

先ほど挙げた理由については、関羽(かんう)が自分によくしてくれた曹操を捨てて劉備のところに

戻った時のように、「わしは硬骨漢(こうこつかん)なんじゃあ!劉アニキ以外には絶対に仕えんのじゃあ!!」

という派手なパフォーマンスをして周囲を納得させることができれば、

尻軽のレッテルを貼られずに済ますことができます。

 

なので、徐庶が絶対に劉備のところへ帰りたいと思えば、やり方はあったはずです。

しかし、徐庶はそこまではしませんでした。

これは、劉備のところへ帰っても自分の活躍の場はもうないと思ったためでしょう。

徐庶は劉備と別れる際、後継候補として諸葛亮(しょかつりょう)を推薦しています。

 

徐庶は諸葛亮がデキる奴だと知っていたので、あいつがバリバリ働いてたら俺はもう

いらんやろ、と思い、無理して劉備のところへ帰ろうとは思わなかったのでしょう。

 

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劉備のところに帰らない理由3:曹操を恨む筋合いはない

曹操を恨む筋合いはない徐庶

 

ところで、ふつうに考えると、次のような疑問が浮かばないでしょうか。

 

「曹操は徐庶のママを捕まえて死なせちゃった憎い仇なんだから、

恨みこそあれ恩などなく、見捨てたって誰も文句言わないんじゃないの?」

「親の仇に大人しく仕えてるほうが人から後ろ指をさされるのでは?」

「劉備のところへ戻って曹操と戦い仇討ちをするほうが自然じゃないの?」

 

確かにそうですよね。読者としても、そういう徐庶を見たいです。

曹操のところで鬱々としながらじっとがまんしているなんて可哀相です。

なのになぜ、徐庶は曹操をママの仇とはしなかったのでしょうか。

それは、ママが自害した時のせりふをみれば分ります。

ママ

 

「主君への忠義と親への孝行は両立できないということぐらい知っているでしょうに!

曹操は君主を欺く賊。一方、劉玄徳(りゅうげんとく)(劉備のこと)は世の中にあまねく仁義をしき、

誰もが仰ぎ見るお方。(中略)あんたは明主を捨てて暗主に身を投じて悪評を被ったのよ!

なんてしょうがないのかしら。顔を見るのも恥ずかしい。ご先祖様に申し訳がないわ。

生きてる甲斐もない」

 

ママが自害した理由は、徐庶が親孝行のために名君を捨てたことを(なげ)いたためであり、

原因は徐庶であって、曹操ではありません。

徐庶にとっては、ママに叱られて死なれてしまった、ということであり、

曹操を恨む筋合いはないのでした。仇ではない、ニュートラルな関係。

 

偽手紙で誘き寄せられたので、そんな手段を使うんかいという気持ちはあったとしても、

そうまでして自分の力が欲しかったのかと思うだけのこと。

自分がここに来たことを歓迎してくれているし、ママの弔問にもきてくれて、贈り物もくれた。

劉備のところに戻れないからには、このまま流れで曹操のところにいるしかないか……という、

消極的な選択なのでした。

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

中国に「徐庶进曹营/一言不发」という言葉遊びがあります。

「徐庶が曹操陣営に行くとかけまして、○○と解きます。その心は、一言も発しない」

というような感じの言葉です。

曹操のところに行ってからの徐庶が積極的に働かなかったことからできた言葉です。

 

徐庶は若い頃は剣を振り回している暴れん坊でしたが、一念発起(いちねんほっき)して学問をし、

立派になって劉備に仕えバリバリ働くようになりました。

ママの身柄を押さえて誘き寄せるという曹操の強引な人材ハントによって、

後半生を鬱々と過ごすことになり、努力して磨いた才幹をふるうことが

できなくなってしまいました。とても気の毒です。

 

正史三国志の徐庶は、最初劉備のところでいい感じに活躍していたらしい様子は

三国志演義と共通ですが、母親は戦時下で曹操の捕虜になったのであり、

曹操が人材ハントをしかけたという記述はありません。

その後、徐庶は曹操に仕え、正史三国志の注釈に引かれている『魏略(ぎりゃく)』によれば、

魏で右中郎将(う・ちゅうろうじょう)御史中丞(ぎょしちゅうじょう)にまで昇っています。

本物の徐庶さんは、魏でもちゃんと力を発揮できたようですね。よかった。ホッ。

 

関連記事:【劉備の初代軍師・徐庶】剣術家から学問の道へ変更したきっかけとは?

関連記事:もし徐庶が軍師として劉備軍に留まっていたら三国志はどうなっていた?

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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