張郃と顔良強いのは一体どっちだ?

2018年9月4日


 

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張郃

 

魏の名将として三国志を知っている人なら聞いたことのある武将・張郃(ちょうこう)。三国無双ではおねえキャラとして登場していますが、史実では孔明(こうめい)の北伐戦では魏の領土を幾度も防衛したこともあるすごい将軍です。

 

 

手柄を立てる張コウ(張郃)

 

 

魏に仕える前は袁紹(えんしょう)に仕えていました。張郃が袁紹の元に仕えていた時には、顔良(がんりょう)という勇猛果敢な将軍がいました。張郃と顔良っていったいどちらが強いのでしょうか。ちょっと気になったので今回は魏の名将としてその名を馳せた張郃と勇猛果敢な将軍・顔良どちらが強いの調べてみました。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張郃と顔良の人々の評価

張郃と顔良の人々の評価

 

張郃と顔良の強さを決める前に彼らに対する周りの評価を見てみたいと思います。まずは張郃から見てみましょう。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

劉備(りゅうび)夏侯淵(かこうえん)を討ち取とり定軍山をゲットしましたが、側近へ「夏侯淵よりも張郃をまだ討ち取っていないではないか。」ともらしたそうです。劉備が張郃をどれだけ恐れていたかがわかるエピソードであり、彼の将軍として優れていた武将であるかがわかると思います。

 

張コウ(張郃)が曹操軍配下に加わり喜ぶ曹操

 

さらに曹操(そうそう)は張郃が袁紹の元から降伏してきた時、「君が降伏してきたのは項羽(こうう)の元から劉邦(りゅうほう)の元へやってきた韓信(かんしん)と同じ行いだ」とべた褒めしています。

 

張郃

 

 

このようにいろいろな人々から高い評価を受けている張郃ですが、顔良はどのような評価を受けていたのでしょうか。顔良は袁紹軍の勇猛果敢な将軍として三国志の時代では知られています。曹操の文官だった孔融(こうゆう)は「袁紹軍の中で勇猛な将軍としてその名前をあげることができるだろう」と評価を下しています。

 

袁紹に顔良の活用を止める沮授

 

しかし袁紹の幕僚であった沮授(そじゅ)は官渡の緒戦で袁紹へ「顔良は武勇には優れています。しかし彼一人に戦を任せてはいけません」と強く注意を促していました。

 

荀彧

 

また曹操の幕僚として有名な荀彧(じゅんいく)も「顔良は武勇は優れていますが、大将としての器量にはかける人です」と評価を下しています。このように顔良は周りの人曰く武勇に優れている武将だといえると思います。しかし周りの人からの評価では圧倒的に張郃のほうが評価は高いといえるでしょう。では実際に張郃と顔良どちらが強いのでしょうか。

 

 

 

戦術的な面では圧倒的に張郃が優秀

戦術的な面では圧倒的に張郃が優秀

 

張郃と顔良一体どちらが強いのでしょうか。戦術的な面で見ればレンは圧倒的に張郃のほうが強いと思われます。その理由としては張郃は官渡の戦いの時、鳥巣に兵糧がたくさん貯蔵されていました。曹操は袁紹軍の兵糧庫へ奇襲を仕掛けてきます。

 

後継者を決めずにダラダラする袁紹

 

張郃は袁紹へ鳥巣をしっかりと守るべきだと主張しますが、彼の意見は却下されてしまい兵糧はすべて燃やされて、袁紹軍は敗退してしまいます。また張郃は孔明が陳倉を攻撃した際、救援に行くよう皇帝から直々に命令を受けます。このとき魏の皇帝は張郃へ「君が行くのが遅れしまえば陳倉は孔明によって落とされてしまうのではないか」と懸念を口にします。

 

しかし張郃は皇帝へ「私が陳倉に到着するまえに孔明は兵糧が無くなり撤退していることでしょう」と孔明率いる蜀軍の兵糧の備蓄量を説明しながら述べるのでした。その後張郃の言ったとおり、孔明軍は張郃が到着する前に撤退してしまうのでした。このように張郃には優れた戦術眼で戦場を見渡すことができる優れた将軍でした。では顔良はどうだったのでしょうか。

 

文醜と顔良

 

残念ながら顔良が戦術に優れているような記載が無く、戦術的に優れた目を持った将軍だったのかわかりません。しかし沮授や荀彧が彼の武勇のみが優れている武将だとしか言っていないのであまり戦術的な面で優れていなかったのではないのでしょうか。そのため戦術的な面で見れば圧倒的に張郃の方が優れている将軍といえるでしょう。

 

袁術祭り

 

 

武勇面では顔良のほうが少し強いかも

武勇面では顔良のほうが少し強いかも

 

では武勇面で張郃と顔良を比べて見た時どちらが強いのでしょうか。史実の三国志時代ではあまり一騎打ちが行われることが少なく、実例もあまりありません。そのため顔良が一騎討ちを行い誰それを討ち取ったなどの記載が正史三国志に見当たりません。

 

しかし孔融や荀彧が「顔良が勇猛果敢な将軍」と評価しているのでそれなりに顔良が強い将軍だったといえるのではいえると思います(関羽に一撃で倒されてしまっているのでなんともいえませんが)。では張郃は武勇面では顔良よりも劣っていたのでしょうか。張郃が勇猛果敢な将軍であったと評価を下している人があまりいないので、もしかしたら顔良よりも弱いかもしれません。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

では張郃と顔良どちらが強いのか結論を出してみたいと思います。レン曰く圧倒的に張郃の方が優れていると思います。戦は一騎討ちで大将を討ち取って勝敗を決まる事はほとんど稀です。ではいったい何で決まるのか。それは大将の戦術眼によって決まるのではないのでしょうか。この点を踏まえれば顔良よりも張郃の方が圧倒的に優れているのではとレンは考えるのですが皆さんはどのように思いますか。

 

参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志魏書】など

 

関連記事:正史の張郃(ちょうこう)ってどんな人?劉備や孔明も恐れた魏の猛将

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楚漢戦争

 

 

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