三国志演義の中で、呉の政略結婚で劉備に嫁いだ孫夫人。最初は周瑜や孫権などの男たちが呉と領有問題でもめている劉備を始末するために婚礼にかこつけて幽閉しようと企んだだけで、結婚させるつもりはなかったのですが、孫夫人の母親が怒ったため本当に縁談をすすめることになりました。
三国志演義の中では男たちや母親が騒いでいるだけで、孫夫人自身の言葉は新婚初夜まで出てきませんが、三国志演義より前に成立した「三国志平話」では、孫夫人自身が闘志満々で、自分が劉備を暗殺すると意気込んで婚礼に臨んでいます。
三国志演義での母親の反応
演義でも平話でも、周瑜らが婚礼にかこつけて劉備を始末しようとしたことは同じです。そのプランを打ち明けられた時の女性の反応が異なっています。三国志演義では、孫夫人の母親の呉国太は母親らしい観点から怒りの声を上げています。
「周瑜め、六郡八十一県の大都督でありながら、荊州を取る計略がないものだから私の娘に美人局をさせるなんて! 劉備を殺したら娘は未亡人になってしまい、その後の縁談に差し障るでしょう? 娘の一生が台なしじゃない。なんていやらしい企みなの!」
この剣幕におされ、まずは呉国太が劉備に会ってみて気に入れば娘を嫁にやり、気に入らなければ劉備の身柄は周瑜たちの好きにするがいいという話になりました。そして呉国太が劉備を気に入ったために孫夫人は劉備に嫁ぐことになりました。
三国志平話での母娘の反応
演義の呉国太は母親らしい常識的な反応を示していましたが、平話の呉国太は違っています。孫権から計略の内容を聞くと、そのまま娘の意向を聞きに行っています。孫夫人はこう答えました。
「父上が董卓を破ったように、今度は私が劉備に嫁ぎ、これを暗殺して名を後世にたれましょうぞ!」
おぉ、尚香ちゃん、男前!(尚香は京劇などにおける孫夫人の名前)殺る気まんまんじゃないですか。夫に嫁いでは貞淑になんていう徳目よりも呉の戦士としての気概にあふれています。このせりふ、「父上が董卓を破ったように」という部分が面白いですね。
董卓といえばその死を市民が踊り回って喜んだほどの極悪イメージのある人物ですが、劉備をその董卓に並べて語っております。孫夫人が劉備のことを呉にとっての董卓レベルの疫病神だと考えていることがこのせりふから分かります。
ブランドに弱かった尚香ちゃん
劉備を殺す気まんまんで婚礼におもむいた孫夫人。通り沿いで出迎えに来ている諸将に出くわすと、「まことに壮士じゃ!」とか「まことの名将じゃ!」などといちいち感心します。
劉備は道にお花を敷き詰めて孫夫人を迎え、二人して劉備の官舎に入りました。中には漢の二十四帝の肖像画が掛けられており、孫夫人は舌を巻きます。
「わたしの家は土地の農家の出で、帝王の像なんて見たことない!」
漢の帝室に繋がる中山靖王の末裔という劉備の血筋を意識して、孫夫人はポワーンとなってしまいました。三国志平話によれば、このとき孫夫人は十五歳。立派な武将たちや道に敷き詰められたお花を見て気分がよくなってしまい、帝室につらなるプリンスを目の前にして “ウホッ!”と思ってしまっても、不思議ではありません。あと十年もすれば、この豪華な花の代金の請求書があとから届くんちゃうかとか、血筋を自慢してはるけど他に長所ないんかなとか、そんなふうに考えられるようになるはずですがね……。
暗殺にとりかかる尚香ちゃん
翌日、婚礼の宴席が設けられました。孫夫人はポワーンとなりながらも、劉備を暗殺するつもりで劉備と酒を酌み交わすふりをしながら近づき、さあ今だ! とばかりに杯を放り投げました。みんなはびっくりしましたが、劉備はのんきに「杯を落としたよ」と言いました。孫夫人はこれを殺すに忍びず、
「わざと怒ったふりをしてみんなをびっくりさせただけだもん!」とその場を取り繕ってしまいました。そしてそのままおしどり夫婦になりましたとさ。めでたしめでたし。
※杯を投げたというのはコーエーの『三国志平話』の訳によりましたが、もしかすると放り投げたのではなくしこたま飲ませたのかもしれません。原文は下記の通りです。
夫人即便当与皇叔過盞。衆官皆驚。荆王曰「夫人過盞」
「過盞」を、“盞を過った”と読めば杯を落としたことになりますが、“盞を過ごした”と読めば飲ませすぎたという意味になるのではないでしょうか。その解釈ですと、暗殺の決心がつかぬままに何杯も酌をしてしまい、劉備から「飲ませすぎだよ」と言われて「いっぱい飲ませてわざと怒らせてみようと思っただけだもん」と返事したことになります。そんな解釈が成り立つかどうか分かりません。詳しい方、教えて下さい。
三国志ライター よかミカンの独り言
うちが劉備を始末したる! と勢い込んで乗り込んだものの、実物を目の前にしてポワーンとなっちゃう三国志平話の孫夫人。なんだか萌えキャラみたいで可愛いです。それに対して三国志演義の孫夫人はせりふが少ない分つつましやかな印象ですが、三国志演義は読書人階級が作ったものだからそんな女性像になったのかもしれませんね。
三国志平話は大衆の娯楽で、女の子の描写はこちらのほうが活き活きとしていて面白いかなと思いました。
【参考】
翻訳本:『三国志平話』二階堂善弘/中川諭 訳注 株式会社光栄 1999年3月5日
原文:维基文库 自由读书馆 全相平话/14 三国志评话(インターネット)