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ただの女好きじゃない!?最期の時まで妻達に愛情を見せた曹操

2018年10月17日


 

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劉備

 

 

稀代(きだい)の女好きなんて言われている曹操(そうそう)。「英雄色を好む」の言葉通りあらゆる女好きエピソードが語られていますよね。

 

朝まで三国志 丁夫人

 

 

そんなわけで、曹操にはなんとなく女にだらしないイメージが付きまとっているのですが彼は意外と女性に対して誠実な男だったのかもしれませんよ…?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操が女に関して良いイメージが無い理由

曹操が女に関して良いイメージが無い理由

 

そもそもなぜ曹操にはどうしようもなく女癖の悪い奴というイメージが付いてしまったのでしょうか。女好きな人なんていつの世にもたくさんいますし、三国時代にもたくさんいたはずですよね。

 

朝まで三国志

 

 

しかし、曹操は他の誰よりも女に関する「なんだコイツ…」と思わざるを得ないエピソードが多いのです。

 

張繍

 

 

張繍(ちょうしゅう)の叔父の未亡人とラブロマンスを繰り広げ、張繍に恨まれた挙句夜中に寝所を焼き討ちされ、長男の曹昂(そうこう)を死なせてその育ての母親の丁夫人(ていふじん)に離婚されたり、関羽(かんう)が気に入ったという女性がなんとなく気になって垣間見(かいまみ)したら自分が欲しくなってしまい、「やっぱ俺の!」とかっさらって側室にしてしまったり…。

 

 

賈詡と曹操と張繍

 

 

なんというかもう…、色々と言いたいことはありますが、とりあえず女については本当にしょうもない人だったということがおわかりいただけるでしょう…。

 

 

 

遺言書に残された女性たちへの言葉

死期を悟る曹操

 

 

どうしようもない女好きだった曹操ですが、自らの死を悟った頃には魏の行く末だけではなく、後宮の女性たちの生活をも気に掛けていたようです。

 

 

曹操の遺言書に残された女性たちへの言葉

 

 

その気遣いは、曹操が残した遺言にあらわれています

 

「余った香は夫人たちに分けてやり、くれぐれも私の墓に入れるんじゃないぞ。」「後宮で特技が無いという者はくつを作ることを学んで売りなさい。」

 

曹操

 

 

このように曹操は自分が亡くなった後、行き場がなくなってしまうであろう多くの女性たちの生活を案じていたのです。特に曹操と子をなすことができずに後ろ盾を完全に失ってしまう女性たちの生涯が心配で心配で仕方が無かったのでしょうね。

 

曹操

 

 

この遺言に鑑みると、曹操は後宮に置いていた女性たち全員を1人残らず大切な存在であると考えていたことがうかがえます。曹操はただのどうしようもない女好きだったというわけではなく、女性への愛情が人一倍広くて深い人だったのかもしれませんね。

 

曹操孟徳

 

 

曹丕、パパの後宮をそのまま受け継ぐ珍プレーを見せる

曹丕、パパの後宮をそのまま受け継ぐ珍プレーを見せる

 

父・曹操の最期を看取り、

 

「パパ、俺…パパの遺言通りにする…!パパがつくった魏をもっと強くする…!」と涙を流した曹丕(そうひ)

 

 

皇帝に就任した曹丕

 

 

当然、曹操の後宮の女性たちについても曹操の言いつけ通りにくつの作り方を学ばせて生計を立てさせるかに思えたのですが、彼は「パパの大切な奥さんたちにそんな下賤なことさせられない!」と思ったのか何なのか、曹操の後宮をそのまま受け継ぐという珍プレーに走ります。

 

 

孟達に恋文を送る曹丕

 

 

ちなみに、曹丕が曹操の後宮の美女たちを侍らせていたという話は『世説新語(せせつしんご)』の賢媛(けんえん)篇に見えます。

 

 

曹丕

 

 

曹操が亡くなったとき、子の曹丕は曹操の後宮の女性たちを全員自分のものにしてそばに置いた。その後時が過ぎ、曹丕の病が重くなったとき、曹丕の母・卞太后(べんたいごう)が曹丕を見舞いに行った。

 

 

魏の皇帝になった曹丕

 

 

卞太后が曹丕の部屋に入ってみると、なんと曹丕の侍女たちは全員曹操からの寵愛を受けた女性だった。卞太后が侍女たちに「いつ曹丕の元に来たのか」と尋ねると、「曹操様がおかくれになってすぐにここに参りました」と答える侍女たち…。

 

 

卞夫人 曹操

 

 

卞太后は足をピタリと止めて次のように吐き捨てて去った。「犬や鼠もお前の食べかすは食べないでしょうね。お前が早死にするのも当然のことだ。

 

 

曹植を暗殺しようとした曹丕を止める卞皇后

 

 

卞太后は実の息子の曹丕が死んで大葬の儀が執り行われても決して哭礼(こくれい)をしようとしなかった。曹丕が曹操の後宮の女性たちをそのまま受け継いだということは、実の父が関係を持った女性たちと関係するというわけで…。母・卞太后からするととても汚らわしくて受け入れがたいと感じたのでしょう。

 

曹丕を生む卞夫人と曹操

 

卞太后の感覚はごもっともです、はい。曹丕は一体何を考えていたのでしょうね…。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

最期のときまで女性たちを愛した曹操の美談は息子・曹丕の強烈な珍プレーにすっかり食われてしまいましたが、曹操は本当に女性を愛していたという事実を皆さんの心の片隅にそっと置いていただければ幸いです。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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