稀代の女好きなんて言われている曹操。「英雄色を好む」の言葉通りあらゆる女好きエピソードが語られていますよね。
そんなわけで、曹操にはなんとなく女にだらしないイメージが付きまとっているのですが彼は意外と女性に対して誠実な男だったのかもしれませんよ…?
曹操が女に関して良いイメージが無い理由
そもそもなぜ曹操にはどうしようもなく女癖の悪い奴というイメージが付いてしまったのでしょうか。女好きな人なんていつの世にもたくさんいますし、三国時代にもたくさんいたはずですよね。
しかし、曹操は他の誰よりも女に関する「なんだコイツ…」と思わざるを得ないエピソードが多いのです。
張繍の叔父の未亡人とラブロマンスを繰り広げ、張繍に恨まれた挙句夜中に寝所を焼き討ちされ、長男の曹昂を死なせてその育ての母親の丁夫人に離婚されたり、関羽が気に入ったという女性がなんとなく気になって垣間見したら自分が欲しくなってしまい、「やっぱ俺の!」とかっさらって側室にしてしまったり…。
なんというかもう…、色々と言いたいことはありますが、とりあえず女については本当にしょうもない人だったということがおわかりいただけるでしょう…。
遺言書に残された女性たちへの言葉
どうしようもない女好きだった曹操ですが、自らの死を悟った頃には魏の行く末だけではなく、後宮の女性たちの生活をも気に掛けていたようです。
その気遣いは、曹操が残した遺言にあらわれています。
「余った香は夫人たちに分けてやり、くれぐれも私の墓に入れるんじゃないぞ。」「後宮で特技が無いという者はくつを作ることを学んで売りなさい。」
このように曹操は自分が亡くなった後、行き場がなくなってしまうであろう多くの女性たちの生活を案じていたのです。特に曹操と子をなすことができずに後ろ盾を完全に失ってしまう女性たちの生涯が心配で心配で仕方が無かったのでしょうね。
この遺言に鑑みると、曹操は後宮に置いていた女性たち全員を1人残らず大切な存在であると考えていたことがうかがえます。曹操はただのどうしようもない女好きだったというわけではなく、女性への愛情が人一倍広くて深い人だったのかもしれませんね。
曹丕、パパの後宮をそのまま受け継ぐ珍プレーを見せる
父・曹操の最期を看取り、
「パパ、俺…パパの遺言通りにする…!パパがつくった魏をもっと強くする…!」と涙を流した曹丕。
当然、曹操の後宮の女性たちについても曹操の言いつけ通りにくつの作り方を学ばせて生計を立てさせるかに思えたのですが、彼は「パパの大切な奥さんたちにそんな下賤なことさせられない!」と思ったのか何なのか、曹操の後宮をそのまま受け継ぐという珍プレーに走ります。
ちなみに、曹丕が曹操の後宮の美女たちを侍らせていたという話は『世説新語』の賢媛篇に見えます。
曹操が亡くなったとき、子の曹丕は曹操の後宮の女性たちを全員自分のものにしてそばに置いた。その後時が過ぎ、曹丕の病が重くなったとき、曹丕の母・卞太后が曹丕を見舞いに行った。
卞太后が曹丕の部屋に入ってみると、なんと曹丕の侍女たちは全員曹操からの寵愛を受けた女性だった。卞太后が侍女たちに「いつ曹丕の元に来たのか」と尋ねると、「曹操様がおかくれになってすぐにここに参りました」と答える侍女たち…。
卞太后は足をピタリと止めて次のように吐き捨てて去った。「犬や鼠もお前の食べかすは食べないでしょうね。お前が早死にするのも当然のことだ。」
卞太后は実の息子の曹丕が死んで大葬の儀が執り行われても決して哭礼をしようとしなかった。曹丕が曹操の後宮の女性たちをそのまま受け継いだということは、実の父が関係を持った女性たちと関係するというわけで…。母・卞太后からするととても汚らわしくて受け入れがたいと感じたのでしょう。
卞太后の感覚はごもっともです、はい。曹丕は一体何を考えていたのでしょうね…。
三国志ライターchopsticksの独り言
最期のときまで女性たちを愛した曹操の美談は息子・曹丕の強烈な珍プレーにすっかり食われてしまいましたが、曹操は本当に女性を愛していたという事実を皆さんの心の片隅にそっと置いていただければ幸いです。
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