【三顧の礼】劉備を確保しろ!水鏡先生の野望


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司馬徽

 

劉備(りゅうび)諸葛亮(しょかつりょう)を自分の幕僚に加えるために、諸葛亮の(いおり)を三度も訪問したという三顧(さんこ)の礼。三国志演義(さんごくしえんぎ)では、劉備は人材の不足を全く感じておらず、偶然出会った水鏡先生こと司馬徽(しばき)から人材不足を指摘されたことでにわかに諸葛亮を招聘する気になりました。

 

司馬徽とホウ統

 

三国志演義の三顧の礼は、劉備が司馬徽に操られて諸葛亮へと導かれているようにも見えます。演義の描写を正史の知識で補いながら、水鏡先生・司馬徽の野望を妄想(もうそう)してみましょう。

 

※本稿で扱うのは三国志演義の内容です。

 

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関連記事:司馬徽(しばき)はどんな人?なんでも善きかな、生涯誰にも仕えなかった偉人

関連記事:【異聞】徐庶は劉備の人徳なんかどうでも良かった?

 


 

司馬徽に出会ったのは偶然じゃない!?

司馬徽に出会ったのは偶然じゃない!?

 

劉備と司馬徽が初めて接触するのは、荊州の政庁がある襄陽(じょうよう)の郊外です。この頃、劉備は荊州牧(長官)の劉表(りゅうひょう)のところに居候していましたが、劉表の配下の蔡瑁(さいぼう)蒯越(かいえつ)らは劉備が荊州での存在感を増すことを恐れ、劉備を亡き者にしたいと考えていました。

 

酔いつぶれる劉備玄徳

 

ある日、政庁がある襄陽で宴会をもよおし、そこに劉備も呼んで、その場で暗殺しようとします。劉備はシンパの手引きで宴会の席から脱出し、それに気づいた蔡瑁らの追っ手を振り切るために馬ごと川に乗り入れ、川に流されそうになった時に馬が三十尺(約7m)もの大ジャンプで対岸に渡り、ずぶ濡れになりながらも追っ手を逃れることができました。

 

的蘆に乗って逃げる劉備

 

馬の名前は的廬(てきろ)、渡った場所の名前は檀渓(だんけい)。三国志演義第三十四回のタイトルに「劉皇叔(りゅうこうしゅく) 馬を(おど)らせて檀渓を越ゆ」とあります。(「シンパ」という言葉、死語ですかね? 共鳴者とか共感者とかいう意味らしいです)

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる

 

さて、ずぶ濡れの劉備が郊外をトボトボと進んでいると、牛に乗りながら笛を吹いている牧童(ぼくどう)に出会いました。牧童は劉備をしげしげと眺め、声をかけます。「将軍は黄巾を破ったという劉玄徳(りゅうげんとく)(劉備)ではありませんか?」この牧童が司馬徽の下僕であって、劉備は彼の手引きで司馬徽に会いに行くことになります。

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!05 蔡夫人、張允、蔡瑁、劉備

 

一見偶然っぽい出会いですが、司馬徽は劉備がこの日このあたりを通ることを知っていて下僕に待ち伏せさせていたようにも見えます。

 


 

水鏡先生・司馬徽の情報収集力

水鏡先生・司馬徽の情報収集力

 

司馬徽は人物鑑定家として知られる名士です。なんでもなさそうな人でも水鏡先生から評価をもらえばプレミアが付いちゃうような、そんな存在感のある先生です。そんな司馬徽は当然 顔も広く、並外れた情報収集力を持っていたはずです(そうでなければ人物鑑定家にはなれない)。

 

司馬徽

 

司馬徽が兄事している龐徳公(ほうとくこう)の息子の嫁の弟である諸葛亮は蔡瑁の姉の娘婿ですから、蔡瑁の動きは逐一知っていたのではないでしょうか。

 

諸葛瑾と幼い頃の孔明

 

アニキの息子の嫁の弟と言うと遠い間柄のように見えますが、司馬徽も諸葛亮もよその土地から荊州に移住した人で、荊州の土着の勢力が荊州の行政を牛耳っている状況に不満を抱いていたクチです。同じくよそ者の徐庶(じょしょ)石広元(せきこうげん)らとも交流し、同じ思いを抱える者同士つるんでいた間柄です。

 

司馬徽

 

“荊州をどげんかせんといかん”と常に情報交換していたのではないでしょうか。

 

(詳しくは過去記事【荊州獲ったどー!】諸葛亮&愉快な仲間の州乗っ取り計画をご覧下さい。)

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳

 

蔡瑁・蒯越らが劉備を消そうとした理由

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!07 蔡瑁、劉備

 

そもそも、蔡瑁・蒯越らはなぜ劉備を消そうとしたのでしょうか。

かつて荊州牧(長官)の劉表が初めて荊州に着任した頃は土着の勢力が力を握っておりよそ者の劉表が「みんな俺の言うこと聞け」と言っても誰も言うこと聞くわけない状況でした。そこで、劉表は荊州の有力者である蔡瑁や蒯越の力を借りて反対勢力を一掃し、現在の地盤を築くにいたりました。

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!01 蔡夫人、張允、蔡瑁

 

劉表にとっては蔡瑁・蒯越らは頭の上がらない恩人です。

 

 

蔡瑁・蒯越らはもともと荊州にいた人たちですので、荊州政権では地元出身で蔡瑁・蒯越らと仲良しの人でなければ採用されづらい状況になっていました。このため、よその土地から来た知識人は体制に不満を抱くようになります。

 

劉琮

 

劉表の息子のなかで、劉琮(りゅうそう)は長男ではないのですが蔡瑁の姪と結婚していたため、蔡瑁らは長男の劉琦(りゅうき)を排除して劉琮を後継者とするよう劉表に働きかけていました。

 

カイ良、カイ越、蔡瑁に初めて会う劉表

 

★このとき、廃嫡(はいちゃく)されたら困っちゃう劉琦と、荊州政権に入れてもらえないよそ者の知識人たちとに結びつきが生じたのではないでしょうか。劉琮を蔡瑁・蒯越らの勢力もろとも一掃し、長男の劉琦を立て、劉琦体制のもとで地位を得たい よそ者知識人たちの動きがあったのだろうと思います。そういう知識人たちが頼りにしたのが劉備の軍事力だったのではないでしょうか。

 

蔡瑁

 

このため、蔡瑁・蒯越らは劉備を暗殺しようとしたのだと思います。

(★印からここまでは私の想像です!)


 

劉備に「伏龍・鳳雛」の情報を吹き込む司馬徽

劉備に「伏龍・鳳雛」の情報を吹き込む司馬徽

 

三国志演義の劉備は、仁と志があるだけで、智も謀もないぼんやりとした人です。荊州の情勢も全く分かっておらず、俺の人徳のせいで蔡瑁たちに妬まれちゃってひどい目に遭ったな~と思いながら檀渓を飛び越えてずぶ濡れでトボトボしている時に、司馬徽の下僕に確保されました。自分の網に飛び込んできた劉備に、司馬徽はこう言います。

 

「ご高名はかねがね伺っておりますのに、どうしていまだにくすぶっておられるのですかな?」

どこまでもぼんやりしている劉備は、自分がいつまでも飛躍(ひやく)できずにいる原因を知りません。

「はてさて巡り合わせが悪いといいますか……」

そこで水鏡先生・司馬徽は劉備にドーンと言ってやりました。

 

「運のせいではない。人材に恵まれていないからです。

伏龍(ふくりゅう)鳳雛(ほうすう)いずれかを得れば天下を安んずることができますぞ」

 

孔明

 

伏龍は諸葛亮のニックネーム、鳳雛は龐統のニックネームです。


  

 

 

劉備を諸葛亮へと導くトラップ

徐庶

 

司馬徽が劉備に伏龍・鳳雛の話を聞かせた晩、司馬徽の門下生の徐庶が司馬徽を訪ねてきます。

 

劉備の元から離れたくない徐庶

 

徐庶は劉表に仕えようと思っていたけれども見込みがないと思ってやめてきたところで、その報告を司馬徽にすると、司馬徽は劉表になど会いに行くべきではないと徐庶を叱りました。その後、徐庶は街で馬に乗っている劉備の目の前に現れて、こんな歌をうたいました。

 

天地は反覆し 火は(ほろ)びんと欲す

大厦(おおいなるいえ)(まさ)に崩れんとするや 一木は(ささ)え難し

山谷に賢有り 明主に投ぜんと欲す

明主賢を求むるも (かえ)って吾を知らず

(意味:火徳の漢王朝は滅びそうで、劉備さまお一人では支えがたいですよね。

賢い隠者の私が明主に仕えようと思っているのですが、劉備さまは私にまだお気づきでない!)

 

剣を持って戦う徐庶

 

これは劉備をひっかけるためのコマーシャルソングです。

司馬徽に言われて人材不足が気になり始めていた劉備はこの歌に食いつき、徐庶を配下にします。

 

司馬徽と劉表

 

★徐庶は劉表に仕えようとしたことを司馬徽に叱られた時に、今やるべきことは劉備を利用して蔡瑁たちの勢力を一掃し我々が羽ばたける荊州を作ることだ、とでも説得されたのでしょう。

 

 

だから劉備を捕まえるためにコマーシャルソングを歌ったのではないでしょうか。

司馬徽のプランでは、劉備を操縦するための切り札は伏龍・鳳雛ですので、徐庶は当て馬でしょう。

徐庶を劉備のもとで働かせて、劉備に “参謀がいるってなんて素晴らしいの!”と思わせたら、

おもむろに “実はもっとすごい友人がいるんですがね……”と伏龍・鳳雛を勧めさせる計画では

ないでしょうか。(★印からここまでは私の想像です)

 

孔明

 

後日、徐庶は伏龍こと諸葛亮を次のような言葉で劉備に推薦しています。

「この人は連れてくることはできません。ご自身で訪問なさって下さい。この人を得ることは、

周が呂尚(りょしょう)を得たことや漢が張良(ちょうりょう)を得たことと等しい価値があります(建国の功臣になるでしょう)」

 

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

これだけ高く売りつければ、劉備は諸葛亮に頭が上がりません。

司馬徽の一党が諸葛亮を通して劉備をオペレーションすることが可能になります!

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

三国志演義の水鏡先生の動きを見ていると、ぼんやりしている劉備を諸葛亮に捕まえさせて

言いなりにして荊州をのっとろうとしているんじゃないかというふうに見えてしまいます。

 

関羽と趙雲を捨てて荊州に逃げる劉備

 

劉備は自分では人材不足なんて感じてもいなかったのに、司馬徽のレールに乗っかって諸葛亮の言いなりになってしまっていますから。

 

天下三分の計

 

諸葛亮の天下三分の計は、まず荊州を乗っ取り、次には益州を得て天下の三分の一を占めるというプランですが、荊州乗っ取りについては、すでに劉琦と司馬徽一党の暗躍(あんやく)があったのだろうと思います。益州も、益州の不満分子と連絡を取り合って、ある程度あたりをつけてあったのではないでしょうか。

 

麋竺と劉備

 

人を得れば天下を取れるとは、こういうことだろうと思います。

天下の実態は群雄の軍事力ではなく、名士のネットワークが(にぎ)っていたのではないでしょうか。

合戦は、群雄に引導を渡すためのパフォーマンスに過ぎなかったのかもしれません。

 

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