広告

【陸抗vs羅憲】勝ったのは一体どっち!?

2018年12月1日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

呉軍を撤退させた羅憲

 

陸遜(りくそん)の息子で父親同様、孫呉(そんご)の歴史にその名を刻んだ名将・陸抗(りくこう)と学問の才能に長けた蜀の羅憲(らけん)。この二人には共通点がほとんど無いように思えますが、実は陸抗と羅憲、一回だけ戦ったことがあるのです。陸抗と羅憲二人の戦いはどちらに軍配があがったのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



少数で永安城を守る羅憲(らけん)

羅憲

 

羅憲は青年期から学問に長けた人物で、蜀の外交官として二度ほど孫呉と親睦を深める使者としての任務を行っています。この時孫呉側は羅憲の応答に感銘し彼を大いに褒めたたえたそうです。

 

黄皓と対立し左遷された羅憲

 

そんな羅憲ですが皇帝劉禅(りゅうぜん)の宦官・黄皓(こうこう)と仲良くする事ができなかったため、左遷させられてしまいます。羅憲が左遷させられた官職は巴東太守ですが、幸いな事に蜀の右大将軍・閻宇(えんう)の副将となって彼の部下として働くことになります。その後、魏が蜀へ侵攻してくると羅憲は閻宇から永安城の守備を行うように命令を受けます。羅憲は閻宇の命令を受けて永安城を守備するべく入城しますが、ここから彼の苦しい戦いが始まることになります。

 

 

 

孫呉の軍勢が攻撃を仕掛けてくる

降伏する劉禅

 

羅憲は閻宇の命令通りしっかりと永安城を守っていましたが、蜀の劉禅が鄧艾(とうがい)へ降伏し蜀は滅亡することになります。

 

蜀滅亡後も旧蜀の永安城を守る羅憲

 

羅憲は劉禅が魏へ降伏した後も永安城を守っていましたが、蜀滅亡の数か月後、孫呉の軍勢が永安城へ襲来してきます。羅憲は蜀へ襲撃を行ってきた孫呉の軍勢を見事に打ち破って永安城を守り切ることに成功します。この時羅憲は部下を司馬昭(しばしょう)の元へ派遣し、救援軍を派遣してくれるように要請を出します。

 

三国志平話

 

名将・陸抗投入

陸抗

 

孫呉は永安攻略軍が敗北したことを知ると、本気を出して蜀を手に入れるため名将・陸抗を援軍として派遣します。陸抗は軍勢を率いて永安城へ到着するとこの城を包囲して、持久戦を展開。こうして孫呉の名将・陸抗と羅憲の戦いが始まります。

 

 

陸抗VS羅憲の戦いの結末は?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

陸抗VS羅憲の戦いの結末はどうなったのでしょうか。両者の戦いの結末は結果から先に述べると陸抗の負けで終わります。陸抗は永安城を攻略するため、永安城を包囲して持久戦を展開するのは上記で説明しました。陸抗の永安包囲戦はこの包囲戦は半年もの間継続することになります。

 

たった2000人で永安城を死守した羅憲

 

羅憲は陸抗の軍勢に永安城を包囲されてもしっかりと永安城を守って陸抗の攻撃を防ぎぬきます。そして羅憲が司馬昭の元へ派遣した部下が援軍を連れて帰ってきます。

 

羅憲を抜けず撤退する陸抗

 

陸抗は魏が永安城を救うための援軍が来た事を知ると急いで軍勢を撤退させていくのでした。こうして二人の戦いは羅憲に軍配があがることになります。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

陸抗と羅憲の戦いを紹介しましたが、もし陸抗が益州を手に入れることに成功していれば歴史は大きく変化することになったと思います。蜀が滅亡した時点で魏と孫呉の南北時代へ突入することになります。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

しかし魏は蜀を滅亡させたことによって中華の半分以上を手に入れており、孫呉を領土的にはいつでも孫呉を滅亡させることが出来るくらいの力を手に入れることになります。対して孫呉は蜀が滅亡した時点でも孫権が生きていたころとほとんど領土が拡大されることなく推移しており、魏と比較して圧倒的に不利な状態でした。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

ですがもし陸抗が羅憲の永安城を陥落させ、益州を占領することになれば魏と呉の戦いはかなり長い間継続することになり、司馬炎の時代になっても天下統一することが出来なかったと思われます。そのため羅憲が永安城をしっかりと守備して、孫呉軍やその後にやってきた陸抗率いる軍勢を追い払ったことは、称賛に値する働きと言えるでしょう。そして、歴史的に見ても羅憲が永安城を守り抜いたのは晋の中華統一にとても大きな役割を果たしたといえるのではないのでしょうか。

 

■参考 三国志武将辞典など

 

関連記事:蜀(国家)が滅亡したら蜀の民や国に尽した人はどうなるの?

関連記事:【素朴な疑問】戦争に敗れると将軍には、どんな罰が待っていたの?

 

呉の武将

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-, ,