戦国策【西周】強国の利害を利用して競わせるの巻

2019年1月8日


 

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戦国七雄の地図

 

戦国時代といえば戦ばかりのイメージがありますよね。

しかし、思いの外それほど血なまぐさい時代でも無かった様子。

というのも、遊説家(ゆうぜいか)と呼ばれる智謀に長けた人々が各国を巡って無用な争いの起こらぬように奔走していたからです。

そんな遊説家たちに助けられたのはその当時軍事面で最弱とも言える存在となってしまった周でしょう。

 

今回は東西に分裂してしまった周のうち、西周にスポットライトを当てている『戦国策』西周策(せいしゅうさく)についてご紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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西周とはどんな国?

鼎

 

高校生が世界史で学ぶ西周(せいしゅう)といえば、武王によって周が鎬京(こうけい)に建てられてから紀元前771年に褒姒(ほうじ)という美女に狂った12代目の王である(ゆうおう)

諸侯や異民族による反乱によって命を落とすまでの時代のことを指しますが、『戦国策』でいうところの西周はこの西周のことを指しません。

 

『戦国策』の西周は、周の31代目の王である孝王(こうおう)が弟・桓公(かんこう)に西の領地を与えたことによってできた西周公という小さな国のことを指します。

西周は周の名を冠しているものの、他の諸侯たちと比べてもとても小さくて弱い国だったため、常に他国からの侵略の驚異に晒されていました。

もしも他国と軍事的衝突が起こったら西周はもう滅びるしかありません。

そんな弱小国家・西周の命数をながらえさせたのは他でも無い優秀な遊説家たちでした。

 

 

 



楚の将軍に完全にナメられて危機に陥るが…

楚

 

周辺諸国の諸侯たちから下品な舌なめずりが聞こえてくるために枕を高くして眠ることができない西周王。

ところが、西周を狙っているのは諸侯たちだけではありませんでした。

 

なんと楚の一将軍でしかないはずの吾得(ごとく)という人物が

「楚王に代わっておしおきよ!」

なんてのたまいながら西周を攻めようとしているという情報が入ってきたのです。

もはや他国の一将軍に攻められてもヤバい状態だった西周は震えあがります。

 

そんなとき、遊説家の1人が西周王にこんな提案をしたのでした。

 

「王様は軍律を司る軍正を従えて吾得を国境まで迎えに行き、最高の礼を尽くしてください。

そうすれば、天下の諸侯は王様が吾得を大変重んじていると認識することでしょう。

その際、楚の国に次のような情報を流すのです。

 

『西周君は吾得に器を贈ったのだが、たしかその器の名前は“(ぼうそ)”というのだとか…』

楚王はきっと吾得の謀反を疑って器を見せるように要求するに違いありません。

しかし、吾得はもらっていない器を見せることができない。

楚王は吾得にやはり謀反(むほん)の心があると考え吾得を罰することでしょう。」

 

楚の将軍をこらしめられるのは、将軍よりも偉い諸侯ということで、西周は戦をすることなく邪魔者を排除することに成功したというわけですね。

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代  

 

 
h2>韓と魏の土地交換を阻止せよ!

項羽と劉邦

 

あるとき、韓と魏が土地を交換しようと交渉を始めました。

このことを聞いた西周の人々は真っ青。

ただでさえ北に、南を韓に接していて威圧感で押しつぶれそうだというのに、両国が土地の交換をすることによって

周の滅亡が現実味を帯びてきてしまうからです。

 

西周の誰もが

「これはもうだめかもわからんね」

と諦めモードに入ったかに思われたとき、樊余(はんよ)という臣下が立ち上がりました。

 

樊余は楚に出かけていき、楚王に次のように訴えたのです。

 

「韓と魏とが土地を交換することによって周は当然滅びるでしょう。

しかし、それだけに止まるでしょうか?

今回の韓と魏との土地交換では韓は県を2つも得するのに、魏は県を2つも損します。

それなのに魏が応じるのは、東西二周を得ることができれば県2つを失うことなど痛手ではありませんし、

何より王者の証である九鼎を手に入れられます。

 

しかも、魏が南陽・鄭地(ていち)三川(さんせん)を保ったまま東西二周を取り込むと、楚の方城(ほうじょう)から北は危うくなり、

韓が上党の両地方を取り込んで趙に迫ると趙の羊腸(ようちょう)から南は危険にさらされます。

もしも韓と魏の土地交換が成立すれば、楚にも趙にも危機が訪れることでしょう。」

 

このことを聞いた楚王は韓と魏の土地交換を憂慮し、趙を介してやめさせたのでした。

力のある他国を操って自国の危機を取り除くその知恵、本当に天晴れですね。

   

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

遊説家の弁舌によって数々の修羅場を乗り切ってきた西周ですが、本当に危機一髪なことが多くて読んでいるこちらがヒヤヒヤしてしまいます。

しかし、知恵さえあれば戦をせずに自分に有利に世の中を動かすことができるということを西周策は教えてくれているのだと思います。

 

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楚漢戦争

 
 
 

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