宰相とはどんな役職なの?古代中国から清の時代まで続いた役職・宰相


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

田中角栄

 

首席宰相(しゅせきさいしょう
)
。これが世にいう内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)の異名です。一般的には省略して、首相(しゅしょう)と呼ばれます。ここでは中国での宰相(さいしょう)という官職にフォーカスしていきます。

 

自称・皇帝
当記事は、
「宰相 役職」
「宰相 役割」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:宦官とはどんな人たち?朝廷を牛耳った宦官の役割を紹介

関連記事:孔明や荀彧が務めていた尚書(しょうしょ)ってどんな役職?女尚書も存在した?

 


 

中国にもあった内閣総理大臣

田畑政治 いだてん

 

日本のトップといえば内閣総理大臣ですが、明確にはトップではありません。いわゆる大臣という役職のトップで国家元首は天皇という形をとっています。さて、中国の王朝ですが、近代ですと清朝(しんちょう)が有名です。映画『ラストエンペラー』を見た方なら分かるでしょう。

 

 

その清朝は日本に倣い「内閣総理大臣」という役職を置いていました。皇帝とは別に内閣総理大臣が存在し、「袁世凱(えんせいがい
)
」も清朝の第二代内閣総理大臣に就任していました。宣統帝(せんとうてい)溥儀(ふぎ)が皇帝に就くと袁世凱は失脚、第三代内閣総理大臣が新たに就任します。宣統帝の周囲に袁世凱を嫌う人物がいたのです。

 

しかし、辛亥革命(しんがいかくめい
)
が起こると朝廷側から南方鎮圧へ向かうよう指示された袁世凱。このままだまってチャンスを逃すはずがありません。革命派と密通し、大清帝国(だいしんていこく)を裏切ります。そして、中華民国(ちゅうかみんこく)の臨時大総統となるのでした。

 


 

楊貴妃とつながりのある宰相・楊国忠とは?

遣唐船(奈良時代)

 

清朝から遡ること千年。中国は(とう)の時代で日本からの遣唐使(けんとうし
)
も受け入れ、栄華を誇っていました。

 

楊貴妃

 

そこには美人で名高い楊貴妃(ようきひ)の”またいとこ”である楊国忠(ようこくちゅう)という偉い人がいました。彼も宰相の一人で、40以上の官職を兼任していました。実質的に彼が唐の政権を握ることとなり、反対する大臣は地方へと飛ばされてしまうのです。

 

玄宗皇帝

 

皇帝の玄宗(げんそう
)
が楊貴妃を溺愛していたことから、皇帝への影響力もありました。

 

【400年続いた漢王朝を分かりやすく解説】
はじめての漢王朝


 

あの曹操が廃止した三公とは?

曹操丞相えらいねんで!

 

三国時代の宰相はというと”司徒(しと)”、”司空(しくう)”、”太尉(たいい)”の三つが最も位の高い官職で、三公と呼ばれました。時代によって三公と呼ばれる役職は変わりますが、後漢(ごかん)のときまでは司徒、司空、太尉でした。

 

部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

司徒は現代日本でいう学校や銀行を管理。司空は刑務所や河川を管理していました。河川の管理は長江(ちょうこう)のように氾濫の多い中国では重要な役職でした。

 

陸遜の部下の兵士

 

そして、太尉は軍隊を管理する部門です。乱世の時代でしたが、太尉は武将ではなく頭のいい大臣が担当していました。

 

中国三大悪女03 皇帝

 

これは中国の統治機構の習慣で皇帝と文官の大臣、そして武将によって政治を行っていました。皇帝は政治に関するアドバイスを大臣からもらっていたのです。武将は辺境で反乱が起きたときに派遣される程度で、朝廷内での権力はそれほど大きくありませんでした。外弁慶みたいなものです。

 

魏の武将をまとめた趙嚴(ちょうげん)

 

戦果を上げれば武将も皇帝や大臣らと会議に出席しますが、無双する武将だけでした。多くの武将は政治にはあまり口出しをしなかったようです。

 

皇帝に直言する季布とヒヤヒヤする周辺

 

どちらかというと大臣と手を組んで、共にライバルを蹴落としていた印象が強いです。中には政治的手腕を持つ武将もおり、そういったものは皇帝に取り立てられ、権力を持つようになります。

 

董卓

 

それが董卓(とうたく)曹操(そうそう)などです。


  

 

 

宰相の勤務地・尚書省

皇帝に就任した曹丕

 

曹丕(そうひ)の魏の時代になると尚書台(しょうしょだい
)
は”尚書省(しょうしょれい
)
”と改名します。いわゆる実務機関で日本の霞ヶ関のような場所でした。それまで一つの役職のような存在だった尚書台がちょっとした組織となります。

 

孫皓に対して戒めの手紙を書く陸抗(りくこう)

 

そして、改名した尚書省は徐々に力を失います。理由はトップシークレットを扱う部署が尚書省から”中書令(ちゅうしょれい
)
”に代わったためです。

 

もともと”尚書”という役職は皇帝への嘆願書(たんがんしょ)を審査する役職でした。優秀な大臣が嘆願書を提出しても尚書に就く偉い人が門前払いしてしまえば、皇帝は死ぬまで見ることはありません。そのため、後漢の時代まで尚書という役職は強大な権力を持っていたのです。

 

羊コ 羊祜 魏と晋

 

その役目が尚書から中書に移ったのが曹丕(そうひ)の”魏”や司馬炎(しばえん)が建てた”(しん)”でした。戦いも減り、安定した時代に入ってくると政府機関も統廃合され、役職も変化してくるのです。現代でいうところの省庁再編です。

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

武将ばかり目立つ三国時代ですが、役職にも注目してみると意外な人物が宰相の職に就いていたことがわかります。中国の王朝では優れた人物に官職や仰々しい二つ名を与え、やる気を出せます。また、そういった風潮が朝廷全体にありました。

 

よって名の通った人物ほど多くの官職を兼務し、時には皇帝に匹敵する権力を振るうこともあったのです。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:丞相、校尉、都督……? 三国時代の役職(官職)が分かりづらい!

関連記事:司馬懿が就任していた太尉とは何をするの?太尉はどの程度の権力がある?

 

【国を動かせ!古代中国メンタリスト列伝】
戦国策

 

 

関連記事

  1. 劉備
  2. 袁紹
  3. ブチ切れる曹操
  4. 曹操軍の輸送車を襲う趙雲
  5. 「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱


はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“ながら三国志音声コンテンツ"

“if三国志"

“つながるはじめての三国志"

“赤壁の戦い"

袁術祭り

春秋戦国時代

PAGE TOP