夏侯覇の生涯は充実していた!三国志演義での扱いが酷すぎるが史実は?


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夏侯覇

 

()きっての名門・夏侯氏(かこうし)出身ながら、父と弟の仇である(しょく)へ出奔した夏侯覇(かこうは)について、詳しく描いている文献は非常に少なく、その生涯が謎のベールに覆われているためか、小説・三国志演義(さんごくしえんぎ)では史実(しじつ)と異なるひどい描かれ方をされています。

 

しかし、少ないながらも残された資料を紐解いていくと亡命先の蜀で出世、老齢に至るまで最前線で活躍するなど、充実した生涯を送ったことがわかるのです。

 

自称・皇帝
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とにかく情けない演義での夏侯覇を援護射撃

最弱武将と対峙する張飛

 

史実では夏侯淵(かこうえん)の次男であるはずの夏侯覇ですが、演義における夏侯覇はなぜか長男として、208年に起きた「長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)」で初登場します。

 

殿を務める張飛

 

この時夏侯覇は、妻子を捨てて迫りくる曹操軍から数十騎で南へ逃走する、劉備(りゅうび)一行を落ち延びさせるため殿に立った張飛に一喝され落馬、無様に河へ転落するという勇将・夏侯淵の息子にあるまじき、みじめな姿で描かれています。

 

司馬懿

 

また、その後は司馬懿によって推挙されるまで一切出番がないうえ、現在の流布本である「毛宗崗本」では、夏侯傑という架空の人物に置き換えられてさえいます。

 


 

祖国魏はもちろん蜀漢でも順調に出世した文武両道の名将

皇帝に就任した曹丕

 

史実における夏侯覇は、文帝・曹丕(そうひ)の治世には偏将軍に任命・関内侯に封ぜられ、その後も右将軍を経て魏・西方軍の長であった、父と同格の「征蜀護軍」にまで昇格しています。

 

司馬懿

 

また、249年に勃発した司馬氏のクーデターを受け魏を脱出・蜀へ鞍替えした後、すぐに車騎将軍という破格の地位を与えられています。

 

蜀の姜維

 

ただ、演義では蜀へ亡命後に姜維(きょうい)の参謀として北伐へ参加するも、255年の第八次北伐で空城の計(くうじょうのけい)にかかり、夏侯覇は戦死したことになっています。しかし正史によると、同年夏侯覇は姜維と共に狭道で王経率いる魏軍と対峙し、散々に破ったとされていることから、彼の死に様についてもフィクションである可能性大です。

 

大胆予想!夏侯覇は果たして何歳まで生きたのか?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

若い頃のエピソードや最期の描写があまりないため、三国志演義では蜀の武将たちの引き立て役になってしまっている夏侯覇ですが、果たして何歳ごろまで生きていたのでしょうか。

 

張飛のヨメ

 

ヒントは劉禅の后の生母で張飛の妻「夏侯氏」が握っており、「魏略」によれば張飛の妻となった200年ごろ、彼女は13~14歳だったとされています。

 

実はこの方、夏侯覇の族妹(同年代の親族で年下)に当たるため、必然的に彼の生年は180年代前半であると推測できます。次に夏侯覇の没年ですが、蜀志・趙雲伝(ちょううんでん)によると同時代に活躍した蜀の重臣、陳祇(ちんし)(258年没)より後に()が贈られたという記述を確認できること。

 

張翼

 

さらに、蜀志・張翼伝では259年に張翼(ちょうよく
)
廖化(りょうか
)
が左右車騎将軍へ任じられた、という記載あることから、夏侯覇の没年は258年or259年のいずれかとなってきます。あくまで推測の域を出ませんが、夏侯覇は60代終盤の老骨に鞭打って戦場を駆け巡り、70歳中盤を超える大往生を遂げた、と理論上では考えられるのです。


 

夏侯覇亡命後も魏で生き残った親族たちのその後がすごすぎる

 

夏侯覇は単に長生きしただけではなくその子孫の中には彼の死後、尊い地位に登り詰めたものも数人存在します。

 

司馬炎(はじめての三国志)

 

まず魏に残してきた娘は、司馬昭(しばしょう)に招聘され(しん)の立国に貢献した重臣・羊祜(ようこ)の妻で、羊祜の死後武帝・司馬炎(しばえん)から「萬歳郷君」という爵位と、食邑5,000戸を賜っています。また、魏に残してきた親族たちも元勲・夏侯淵の子孫として恩赦を受け生き延び、中でも夏侯覇の甥である夏侯荘の娘・光姫は、司馬懿の孫で琅邪王の司馬覲へ嫁ぎ、後の東晋初代皇帝・元帝を生むこととなります。


  

 

 

三国志ライター酒仙タヌキの独り言

酒仙タヌキ 三国志ライター free

いくら蜀が人材不足だったとはいえ、少々晩年までこき使われ過ぎた感のある夏侯覇ですが、その生涯は演義で描かれたような、みじめなものでは決してありませんでした。

 

夏侯覇の妻は誰?

 

そして、娘が晋国重臣の妻として爵位を得たり、親族から皇帝が誕生したことも驚きですが、これは夏侯覇の亡命時置いてけぼりを食らった弟・夏侯威が司馬氏と縁を結び、しぶとく一族の血脈を残す努力をした成果だと、筆者は考えています。

 

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