呂範とはどんな人?周瑜や呂蒙に匹敵する名将の逸話も紹介

2019年7月11日


 

イケメン孫策と袁術

 

孫策(そんさく)袁術(えんじゅつ)の元を離れた後、江東を一気に制圧しました。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

孫策が江東を一気に制圧した際、多くの人々が彼を助けます。たとえば孫策の親友・周瑜(しゅうゆ)や北から逃れてきた名士・張昭など多くの人材が彼の江東攻略を助けていました。しかし孫策を助けた人材は彼らだけではありません。

 

呂範(りょはん
)
も孫策を助けた人材の一人です。今回は孫策を助けた呂範について紹介したいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫策から高い評価を受けて配下になる呂範

呂範

 

呂範は元々江東に住んでいた人物ではなく汝南の出身の人で、若くして役人へ就職。

 

黄巾賊

 

中原(ちゅうげん)は黄巾の乱後、戦乱が巻き起こり各地の県で盗賊などがはびこり始め、汝南(じょなん)も戦乱に巻き込まれてしまいます。そのため呂範は汝南を離れて寿春(じゅけん
)
へ避難。

 

呉の小覇王・孫策

 

呂範が寿春へ避難した時、孫策も寿春に居ました。孫策は呂範が寿春にいることを知り、彼の元へ行って昨今の状況の議論や今後の状況がどのようになるかなどの話をした結果、呂範が才能と見識の高い人物であることを知り、彼を高く評価します。

 

しかし呂範の本当の才能は高い見識ではなく、軍事にありました。どの程度軍事の才能があったのかは次で紹介します。さて呂範は孫策が自分のことを高く評価してくれたことを喜び、数百人の食客を連れて孫策の配下として参加。

 

孫策がその後袁術ものとから離れて江東平定戦へ向かうと呂範も彼と一緒に江東平定戦に向かいます。

 

 

 



江東平定戦で大活躍

手柄を立てる呂範

 

呂範は孫策の江東平定戦で盧江(ろこう)を攻略し、揚州牧・劉繇(りゅうよう)の配下の将軍たちを打ち破る活躍を見せます。孫策は劉繇軍の残兵を集めて、呂範へ軍勢を率いる指揮権と劉繇軍の指揮を命令。

 

呂範は劉繇軍の指揮を命じられると丹陽で反乱を起こしていた異民族討伐戦に赴き見事勝利を収めます。呂範の手柄はこれだけにとどまりません。

 

一騎打ちをする太史慈と孫策

 

呂範は丹陽(たんよう)の異民族討伐戦に成功すると、劉繇で孫策と一騎打ちを互角に繰り広げた猛将・太史慈(たいしじ)軍攻撃に参加し、ここでも功績を挙げる活躍をしています。このように呂範は孫策の江東平定戦で大きな活躍を見せ、孫策の親友・周瑜や程普などの武将達に匹敵するほどの活躍を見せます。

 

 

孫権時代でも軍事で活躍する呂範

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

呂範は孫策が暗殺者によって殺害された後、孫呉を去ることなく、孫策の弟・孫権(そんけん)に仕えます。

 

赤壁の戦い

 

呂範は天下分け目の大戦・赤壁の戦いで活躍。その後、呂範は孫権が関羽討伐戦へ向かって出陣した際、孫呉の首都・建業(けんぎょう)をガッチリと守って、魏に隙を見せませんでした。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

他にも呂範は魏の大軍が孫呉へ攻撃をしてきた時、諸将を率いて魏の大軍と戦い、勝利を収めます。このように呂範は戦がとってもうまく、名将・周瑜(しゅうゆ)呂蒙(りょもう)らに匹敵する軍事の才能を持った人物だったと言えるでしょう。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

呂範は軍事の才能で孫家二代を支えた人物で、孫家にとって特別な人でした。そのため孫権も彼がちょこっと羽目を外したくらいでは怒ることなく許してやっていたそうです。

 

では呂範はどのくらいハメをはずしていたのか。それは呂範が華美な服装をまとって羽目を外していました。呂範の功績を考えれば、それなりに贅沢をしてもいいんじゃない?と思う人もいるかと思いますが、呂範の服装は度を超えていました。

 

呂範の服装は王侯貴族に匹敵するほど豪華な服を着ていたそうです。そのためある人が孫権へ「呂範の格好はどう見ても王侯貴族が着るような服で、身分にふさわしくない服装ですよ」と注意を促します。

 

海上での戦いの孫権

 

しかし孫権は「呂範は兄上の時代から孫家を支えてくれた大切な臣下じゃ。だから大目に見てやってくれないか。昔の偉い王様は家臣が悪い事をしても咎めることなく大目に許してやったそうだ。

 

呂範はそんなに悪い事をしているわけでもないしな。」と言って注意した人物へ勘弁してくれと説得。このように孫権は呂範を大切で特別な臣下として扱っていた事が伺えるんじゃないでしょうか。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

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呉の武将

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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