史実の趙雲を考察!脚色されてる理由が頷けるほど蜀への貢献度の高さ


趙雲子龍

 

槍の名手として名高い趙雲(ちょううん)ですが、史実でも本当に活躍していたのでしょうか。マンガやゲームなどで脚色されているのではと疑う読者もいると思います。

 

ここでは史実の趙雲をテーゼに紹介していきます。

 

自称・皇帝
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単騎で走る趙雲

長坂の戦いでの趙雲

 

趙雲はかつて幼い頃の劉禅(りゅうぜん)を救ったことがあります。劉禅とは劉備(りゅうび)の息子です。長坂坡の戦い(ちょうはんのたたかい
)
で、劉備は逃げ出す途中で妻と子供たちとはぐれてしまいました。

 

趙雲

 

後に、孫権(そんけん)は劉備が蜀に入るとき孫夫人を迎えに行きました。そのとき孫夫人(そんふじん)は劉禅を連れ去ってしまったのです。

 

孫尚香

 

いわば誘拐犯です。当時、劉備は荊州(けいしゅう)の「公安」という場所に滞在しており、趙雲に指示して劉備の家族や孫夫人も公安に入っていたのです。

 

劉備とイチャイチャする孫尚香

 

孫夫人が公安で董卓(とうたく)のごとく跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)したので、劉備は趙雲に公安の内政を引き受けるように命令。そのとき孫夫人が劉禅を連れ去ったことを知ると、趙雲はすぐに追いかけて劉禅を川で救出しました。

 

司馬昭の質問に回答する劉禅

 

二度も敵の手に渡った劉禅は、後に「蜀の皇帝」となります。

 

劉禅

 

後漢時代、皇帝となった劉禅は趙雲の功績によって幼い頃に何度か困難を乗り越えたと姜維たちに熱く語りました。こうして姜維たちにとって趙雲は雲の上の存在となったのです。

 


 

領土拡大

張飛の虎髭

 

劉備が蜀に入り、劉璋と犬猿の仲になると趙雲と諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)張飛(ちょうひ)たちは合同で「西川」の討伐に乗り出します。手始めに巴東郡と巴郡を襲撃。

 

張飛益徳参上

 

趙雲と張飛は江州で兵を分け、「江陽」と「犍」の二つのエリアを平定します。この二郡は蜀でも広大な土地を有し、蜀郡・広漢郡と合わせて「三蜀」と呼ばれていました。同時に蜀の主な財政源でもあったため蜀の財政は趙雲らの活躍によって安定したのです。

 

蜀軍に潜入する孟優(南蛮討伐)

 

そして、このエリアは「蜀」の国名の由来ともなっています。趙雲が蜀を平定したことで劉備は蜀の中心部を南側から囲むように支配できるようになりました。

 

三国志 武器

 

現代風にいえば、自衛隊にイージス艦とオスプレイ、そしてエシュロンを配備したようなものです。


 

漢中で曹操を破る

二刀流の劉備

 

西暦218年。呉の孫権と良好な関係にあった劉備は巴西の張郃を何度も撃退します。ほどなく「漢中(かんちゅう)」をかけて魏と争うようになり、同じ年の7月に曹操は派兵します。

 

蜀の皇帝に即位した劉備

 

漢中を攻撃する劉備から守るためです。

 

曹操

 

9月に入ると曹操軍は長安へと駐留、双方の緊張が高まります。翌年、劉備は「夏侯淵(かこうえん)」を討伐、3ヵ月に渡って曹操軍と戦うのです。

 

酒を飲む曹操と劉備

 

劉備は自信満々でしたが、守り抜くのが次第に厳しくなってきました。この時、曹操は「北山下」に兵糧を送ります。現地で待ち構えていた黄忠が取りに行きますが、すでに兵糧は見当たりません。

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

折よく到着していた趙雲が曹操軍と一戦を交えていたのです。趙雲は騎馬兵を上手に操り、曹操軍を一網打尽。敗走した曹操軍は陣に戻りますが、趙雲が待ち伏せしていると思い、再出撃することはありませんでした。

 

五虎大将軍の趙雲

 

実は趙雲は撤退するときにドンドンと太鼓を派手に鳴らし、後衛には雨のような矢を降らせるよう指示していたのです。そして、敵兵の死体を大量に川に流し、溺死させました。こうした状況は敵兵に多大なダメージを与え、勢いのあった曹操軍は趙雲の戦法によって遁走。

 

劉備の下で働くと決めた趙雲

 

形勢は一気に劉備サイドに傾きます。半年に渡って準備した曹操の兵はたった2か月で敗れてしまうのです。この戦いはそのまま歴史書に記録されました。


  

 

 

三国志ライター 上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

趙雲の活躍は少し大げさではないかと思っていた読者もいるでしょう。しかし、史実を辿るとそうでもないことが分かってきます。

 

趙雲

 

それだけに趙雲の知名度はあらゆるシーンで向上しました。

 

お互いに歌を交わす趙雲と劉備

 

劉備とは桃園の契りは交わしていませんが、それと同じくらい深い親交があったのもうなずけます。また、のちに蜀の皇帝となる劉禅を救ったのも劉備に感謝された理由の一つです。戦の中、必死に自分の子どもを救ってくれたとなれば、どんな親でも感謝することでしょう。

 

参考文献:「交通旅遊中国地図冊(中国語版)」湖南地図出版社

 

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