五虎将軍の中で長生きの趙雲!没年をマジメに計算すると膨大な矛盾が?


五虎大将軍の趙雲

 

五虎将軍の一人にして、この五人組の中では一人「若武者」の印象が強い趙雲(ちょううん)。アニメやゲームでも、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)からは「後輩」扱いされる描写が多くなっています。

 

趙雲

 

いっぽうで、五虎将軍の中で最も長生きしたのが、この趙雲。

 

趙雲子龍

 

劉備(りゅうび)亡き後の孔明(こうめい)の北伐にもちゃんと従軍しており、その際、三国志演義(さんごくしえんぎ)の描写では副将としてついていた鄧芝に「御年70歳とは思えませんな!」と感心されています。

 

一番の若武者であり、一番の長生き!

 

ん?あれ?

「第一次北伐の時にすでに70歳の老将」って、なんだか年齢計算が合わない気が!?

 

自称・皇帝
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五虎将軍の死亡年を改めて整理してみましょう

孫夫人と趙雲

 

趙雲が長生きであったことを確認するために、五虎将軍および劉備・諸葛亮の没年をあてはめてみましょう(没年はWIKIPEPIAのデータから取得しています)。

 

関羽(かんう) 220年

黄忠(こうちゅう) 220年

張飛(ちょうひ) 221年

馬超(ばちょう) 222年

 

孔明と劉備、関羽、張飛

 

劉備 223年

諸葛亮 234年

 

趙雲

 

そして趙雲の没年が229年ということですから、西暦220年の前後に蜀のリーダーや名将たちが大量死(!)している波には飲まれることなく、その後十年くらいは現役で活躍できていた、ということがうかがい知れますね。

 

亡くなる張飛将軍

 

特に五虎将軍を並べてみた場合、病死した馬超を除いては、関羽・張飛・黄忠とも戦死ないし暗殺が死因です。事件事故がなく、みんなが趙雲くらいまで長生きしてくれていれば、北伐についても人材不足に悩むことはなかったはずなのに、と嘆息する人も多いのではないでしょうか。

 


 

その割に趙雲が「老将」扱いなのはいろいろツジツマがあわない件

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

そんな想いを胸に抱く読者が『三国志演義』を読んでいて、孔明の第一次北伐の場面にて、既に70歳となっている趙雲が老将ながらも活躍をしているというくだりにぶつかると、

 

「ああ、蜀にもまだ趙雲が残っていたか!」

というひとしおの感動を受けるのではないでしょうか。

 

てきぱきと物語を読んでいると、ツッコミもせずに感動だけして読み飛ばしてしまうこの場面。ところが、先ほどやってみたように、五虎将軍たちの没年を数字で並べてみると、なんだかおかしいことがわかってきます。

 

だって、劉備や関羽が亡くなってから約10年後の場面で、趙雲が「70歳」と言われているわけですよね。趙雲より年上と思われる劉備や関羽が「もし死んでいなかったら、北伐の時には彼らは趙雲よりもさらに年上の、70歳を超える老人だった」ことになる。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

ところが、これらのキャラクターの中で唯一生年がわかっている劉備玄徳は、223年に亡くなった時には62歳だったはずなのです。桃園の義兄弟の長男である劉備ですら、長生きしていたとしても、第一次北伐の229年の段階では68歳。

70代には突入していなかったはず。

 

それなのに、趙雲が70歳の「長生き老将」扱いなのは、これはいったい?

 


 

三国志演義が間違っているのか、みんなの「趙雲は若武者」イメージが間違っているのか?

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

取り得る解釈は、二つに一つですね。まず、三国志演義が間違っている、という可能性があります。

 

羅貫中

 

作者の羅貫中(らかんちゅう)が、とにかく物語を「おもしろくするため」に、いろいろと脚色を加えてしまっているのが、三国志演義の特徴。おそらく北伐における趙雲の「70歳の老将」という描写も、読者の涙を誘うために、実際の年齢計算を無視して描いてしまった勇み足描写なのだ、と考えることができます。

 

羅貫中と関羽

 

もうひとつの可能性は、これはいささかイメージ破壊になってしまう道ですが、「趙雲は関羽や張飛よりも若武者であるというのが、単なる思い込み、イメージにすぎない」という解釈です。

 

羅貫中と関羽

 

確かに、関羽あたりは趙雲のことを「弟分だ」みたいに上から目線で従えていますが、これは劉備軍に入ってきたのが後からだからあって、「趙雲といえども俺たちから見れば組織の中では後輩だぞ」と言っているだけかもしれない。

 

実際の年齢ではなく、組織の中の序列として「俺から見れば弟分よ」という意味かもしれない、というわけですね。

 


  

 

まとめ:そうはいってもイメージというものは大事に守り抜きたい!

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

みなさんは、どちらの解釈を取りますでしょうか?

 

「勇気をもって後者の解釈を取る!」という人は、あんまりいないのではないでしょうか?

私もそうですが、やはり、長らくもっていた自分のイメージを守る解釈を選びたいですよね?

 

となると、これはもう、演義の作者である羅漢中を悪者にするしかない!いろいろと計算が合わなくなってしまったのは、「70歳」というキリのよい数字を安直に使ってしまった、三国志演義の作者の創作上の都合、と解釈するわけです。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

「でも作者のせいというメタな解釈はどうにもおさまりが悪い、もっと作品世界を壊さない解釈はないのか?」という方もいるかもしれません。そこで「羅貫中が悪い」という解釈のアレンジ版として、実はもう一人、趙雲の年齢矛盾の犯人に仕立てられる恰好な人物がいます。

 

趙雲のことを「70歳の御年なのに、おみごと!」と誉めているのは、鄧芝一人だけなのですよね。ということは、鄧芝が趙雲の年齢を勘違いしていた、という解釈も可能なのです!

 

この解釈を取ると鄧芝が天然キャラなイメージに変わってしまいますが、趙雲のイメージを守るための犠牲と考えれば安いと思う人も多いのではないでしょうか!?

 

趙雲のイメージを守るために、羅漢中を悪者にするのか?それともいっそのこと、鄧芝のイメージを破壊し、彼を天然キャラに貶めてしまうのか?どの道をとるのかは、読者一人一人の判断次第です!

 

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コメント

  • コメント (2)

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    • 匿名
    • 2020年 11月 25日

    これは“演義”の話です。史実の話であれば趙雲もこんなに活躍してませんので。

    • 匿名
    • 2020年 5月 19日

    黄忠は史実では戦死や暗殺の記述はないはずですが…




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