劉備に徳はどれくらいあったの?三国志で最も大事なのは「徳」?

2019年8月7日


 

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陳登と劉備

 

三国志の時代で、最も求められ他能力は何でしょうか?武力?知力?それとも……色々な意見があると思いますが、筆者は「徳」であると思います。

 

劉備の黒歴史

 

もちろん「いきなり『徳』とか意味不明なこと言われても……」と思う方もいるかもしれませんね。そこで今回はこの「徳」の説明と合わせて「仁徳の人」と三国志演義で描かれている劉備(りゅうび)の徳についても解説をしていきたいと思います。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「徳」ってなぁに?

三国志の主人公の劉備

 

さてまずは「徳」について、かなりざっくりとした説明をしていきましょう。

 

劉備に仕える張裔

 

この「徳」というのは宗教観点が強いものになりますが、目に見えるものではありません。個々の能力とでも言うべき、敢えて同じようなものを上げるとするなら実績、名声、カリスマ、出自もだいぶこの「徳」に影響を与えるものとなります。皇帝はこの「徳」を多く持っているからこそ皇帝となっていました。

 

 

土いじりをする劉備

 

 

何故なら「徳」がある人が国を治めることで国が繁栄するからです。しかし逆に皇帝の「徳」が下がってくると国が乱れてしまいます。そして黄巾の乱より少し前から、国は乱れてきていました。つまり漢王朝の皇帝の「徳」が低下していると当時の人々からは思われていたのです。

 

ではこの「徳」が重要だと思われていたことが分かる、その出来事を説明しましょう。

 

 

 

「徳」が重要なことが分かる出来事

曹丕

 

 

一番分かりやすいのが魏の曹丕(そうひ)が文帝となった時でしょう。漢王朝の「徳」が低下して国が乱れていく中、曹丕の父である曹操(そうそう)は乱を治め、国を盛り立ててきました。

 

 

曹丕と曹操

 

 

つまり曹操の「徳」が上がってきていたんですね。この「徳」は跡継ぎに引き継がれていきます。だから王朝の皇帝は跡継ぎがそのまま帝位に付けるという世襲制が成り立つのです。

 

 

皇帝に就任した曹丕

 

 

だから曹丕の「徳」も自然と高いものに見られていきますが、それでも曹丕は禅譲という形をとって皇帝の位を譲られることになりました。「無理やり奪い取った訳じゃないよ!」アピールですね。

 

しかし曹操の漢王朝への功績を考えれば、民衆から見てもかなり納得のいく措置と言えます。

 

 

劉備の徳はどうだったのか?

蜀の皇帝に即位した劉備

 

 

ここで注目したいのが劉備の徳。三国志演義では仁徳の人という扱いを受ける劉備の徳はどうだったのか?

 

お気づきの三国志ファンの方も多いと思います。「劉備は漢皇帝名乗ったじゃん!」……そう、劉備も皇帝を名乗っています。

 

じゃあ劉備の徳もとてつもなく高かったのか、というとそうとは言い切れないのです。というのも劉備が漢皇帝を名乗って許されたのは「献帝が曹丕によって殺されて帝位を奪われたから」という理由があるからです。

 

しかし知っての通り献帝は殺されてはいません。背後にどのような理由があったにせよ、禅譲はあくまで和合の元で行われました。

 

この時になぜか「蜀では」「献帝は殺されて帝位を奪われた」ということになってしまっていましたが、当時の蜀の存在理由にも等しい「漢王朝の復興」からすればこれはこうせざるをえなかったのではないか、と筆者は思っています。

 

でなければ漢王朝と共に曹丕の下につかざるを得なくなりますからね。

 

 

麋竺と劉備

 

 

ともあれ劉備の漢皇帝も反逆者が出た訳ではないので、能力的に見ても「徳」的に見ても、周囲からは劉備にも「徳」があると認められたのではないでしょうか。事前に漢中王を名乗っていたことを考えると、ここでも劉備の運の良さを感じさせられます。

 

三国志演義のように「徳」に満ち溢れてはいないけれど、確かに「徳」を感じさせる人物……それが筆者の劉備観です。

 

 

「徳」がないとこうなっちゃうとても良い例

袁術

 

 

因みに「徳」がないのに皇帝を名乗るとどうなるか、に関しては袁術(えんじゅつ)が分かりやすい例ですね。

 

 

袁術

 

 

袁術は皇帝を名乗ってしまいましたが、そのラストは悲惨なものです。周囲から一斉に顰蹙と反感をかってしまい、。演義では民衆からも酷く嫌われたように描かれるほどです。これを見ても、当時の「徳」を民衆がどう見ていたのか、それを感じることができますね。

 

目に見えない曖昧なものであっても、この当時「徳」は名君として必要不可欠なものだったのです。

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

今回はちょっと趣向を変え「徳」について解説をしてみました。

 

曖昧なものですがこの観点から三国志を見ていくと、ここでどうしてこういう行動をしたのか、どうしてみんなこう考えるのかが影響されていて、別側面からも三国志を楽しむことができます。敢えて劉備を引き合いに出しましたが、皆さんもお気に入りの武将の「徳」について考えて見て下さいね。

 

参考:劉備 wikipedia

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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