三国志には曹操を殺害しようとした董承。
劉備を暗殺しようとした劉平など数えればきりがないほど暗殺者が登場します。今回紹介する王威も劉備と曹操を殺害しようと試みた暗殺者の一人でした。
三国志演義で劉備暗殺に加担
王威は劉表に仕えた将軍の一人です。三国志演義に登場する王威は劉表の元に劉備が保護された事を知ると、劉備が必ず災いをもたらす人物だと考えていました。
劉表の側近・蔡瑁は劉備暗殺の計画を立案し、劉備が危険だと考えている王威を誘います。王威は蔡瑁の計画に賛同し、劉備暗殺計画に加わるのでした。王威は劉備の護衛を務めている趙雲を引き離すように蔡瑁から命令を受け、劉備と趙雲を引き離そうと試みますが、失敗し、劉備暗殺計画も頓挫してしまうのでした。
無念の内に亡くなるアサシン
王威は劉表死後、曹操軍の大軍が荊州へやってくると劉琮と一緒に降伏。その後王威は曹操から青州の刺史に劉琮が任命されたため、劉琮と一緒に青州へ向かいます。劉琮と王威は青州に向かっている途中、曹操の命令を受けた于禁の攻撃を受けて、殺害されてしまいます。
劉備を暗殺しようとした王威ですが、最後は暗殺されてしまう結末を迎えてしまうのでした。ここまで三国志演義での王威を紹介しました。では次に正史三国志の王威を紹介したいと思います。
正史三国志の王威は大魚を狙う
正史三国志の王威は荊州の主・劉表に仕え、劉表の死後は劉琮に仕えます。正史三国志の王威は劉備暗殺計画に加担することなく、おとなしくしていましたが、暗殺者の血が騒いだのでしょうか。王威は小物であった劉備よりももっと大きい獲物を暗殺しようと考え、計画を練っていました。
曹操暗殺計画を進言
王威が暗殺しようとここ見ていたのは河北を統一し、中華の半分以上を領土に収めていた曹操です。
王威は劉琮が曹操に降伏した時、「曹操は荊州が降伏した事油断しきって警護をほとんど連れてこないで入城しようとしています。そこで私が数千の兵士を率いて伏兵をおけば、曹操を簡単に捕え殺害できます。
曹操を捕えた後、中原に檄文を送れば、曹操に不満を持っている人々が立ち上がり、中原を統治できます。今まさに千載一遇のチャンスが巡ってきているのです。どうか私にご命令を頂けないでしょうか。」と必死に劉琮を説得。だが劉琮は王威の説得を採用せず、曹操を丁重に迎え入れます。
その後王威は正史三国志から消えてしまい、彼がどうなったのか記されていません。おそらく曹操暗殺計画を劉琮に進言した事を曹操に知られる前に劉琮の元を去って逃亡したと思われます。
三国志ライター黒田レンの独り言
もし王威の曹操暗殺計画が実行した場合、どうなるのかレンの推測を語って終わりにしたいと思います。劉琮が曹操を殺害したら、天下統一を果たしたのは孫権だと思います。
孫権が天下統一する理由
曹操が亡くなった為、曹丕と曹植が曹操の後継者を巡って争いが発生。曹丕と曹植の後継者争いが勃発すれば、曹操の領土が大混乱に陥ります。
その隙をついて江東に勢力を持っている孫権が軍勢を北上させ、曹操の領土をかなり奪い大勢力として成長。大勢力になった孫権軍に後継者争いで大分裂した曹家の軍勢が戦いを挑んでも勝つことができず、最終的に孫権軍によって滅亡。
中原全域を手に入れた孫権は残っている諸将を降伏させて、天下統一を果たすのではないでしょうか。レンの推測を語ってしまいましたが、皆様は劉琮を説得して、王威が曹操を殺害した場合、いったい誰が天下統一をすると思いますか。
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■参考 正史三国志魏書など
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