于禁の憤死の原因を考察


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于禁を虐める曹丕

 

曹操(そうそう)の重鎮として知られる于禁(うきん)

彼は晩年憤死することになりますが、どうして憤死して亡くなることになったのでしょうか。

今回は于禁の憤死の原因について紹介したいと思います。

 

自称・皇帝
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怒りで本当に死ぬの??

激怒する関羽

 

三国志では怒りや悔しさなどの理由で病を発して亡くなってしまう武将がたくさんいます。

 

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

例えば呉の丞相として知られる陸遜(りくそん)も上記に該当し、このことを「憤死」と呼びます。ですが「憤死」とはどのような意味を持った言葉なのでしょうか。

 

「憤死」を岩波国語辞典で探してみると「憤慨しながら死ぬこと」と記載があります。憤慨も一緒に調べてみるとひどく腹を立てる事と記載がありました。これらを合わせて分かりやすく説明すると「憤死」とはとてつもなく激怒して死ぬことだと思われます。

 

※「憤死」の原因については色々な説があり断定できる説がないため、ここでは岩波国語辞典を参照して記載しております。

では今回紹介する于禁は上記で説明した憤死の原因となる怒りをどうして感じるようになったのでしょうか。


曹丕と対面する于禁

于禁

 

于禁は樊城攻防戦の時に軍勢が洪水のせいで水没してしまったせいで関羽(かんう)へ降伏することになります。その後于禁は関羽を討伐して荊州を領土にした孫権(そんけん)の元へ移ることになりますが、曹丕(そうひ)が皇帝になった事が契機となり、魏へ帰国することになります。

 

皇帝に就任した曹丕

 

こうして魏へ戻った于禁は早速皇帝になった曹丕と対面。曹丕は于禁が泣きながら関羽へ降伏したことを詫びてくると彼へ春秋戦国時代の故事を引き合いに出して慰め、将軍の位を与えて彼の苦労に報いります。


曹操のお墓へお参りする于禁

 

于禁は魏に戻り、将軍の位を曹丕から授与されると、呉の使節に任命され、呉へ向かうように命令を受けます。この時曹丕は「呉へ向かう前に曹操のお墓参りをしてくればどうだ」と于禁へ提案。

 

于禁は曹丕の提案を喜んで受け入れ、曹操のお墓へ向かうことになります。

于禁は曹操のお墓に到着すると、目を疑うようなとんでもないものを目にすることになります。


怒りと悔しさが爆発!!

 

曹丕は壁画師へ曹操のお墓の壁画に龐徳が奮戦して活躍する姿を描かせます。更に彼は于禁が関羽へ降伏している姿を描くように命令。于禁は曹操のお墓へお参りした際、曹丕が壁画師に書かせた自分の不甲斐ない姿を目の当たりにすることになります。

 

その結果、于禁は怒りと悔しさの感情が生まれ、病にかかってしまい、そのまま亡くなってしまうのでした。

 

曹丕のいじめが原因

部下をいじめる曹丕

 

于禁が憤死することになった理由は結局何だったのか。

上記の説明でわかった方もいらっしゃるかと思いますが、ここでまとめておきたいと思います。

 

于禁が憤死することになった理由は曹丕によるいじめが原因です。曹丕は孫権に降伏した于禁を憎んだので、いじめて死なせようと考えていたのか。それとも曹丕は于禁へ降伏したことをあまり重く考えないようにとの意味を込めて、曹操のお墓に于禁が関羽へ投降する姿を描かせたのか。

 

これは曹丕に聞いてみないと分かりません。

ですが、曹丕の行動によって、曹操に仕えた重鎮・于禁が史実で亡くなった事は曲げようのない事実です。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

曹丕の于禁に対するいじめは彼を憤死しただけでは終わりませんでした。曹丕は于禁が亡くなった後、彼へ諡を与えます。曹丕が于禁へ与えた諡は厲侯です。この厲の漢字の意味ですが、「わざわい」・「やむ」などあまり良い意味が込められている感じではありません。

 

曹丕は于禁が亡くなった後もこのようにあまりいい意味ではない漢字を諡として送った事を考えると、もしかしたら関羽へ降伏した于禁の事を憎んでいたのかもしれません。曹丕が于禁を憎んでいたと確証づける記述が存在していない為、あくまでレンの推測の域を出ませんが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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【古今東西の英雄の「最期」は千差万別】
英雄の死因

 

 

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