曹操はどうして「逆賊」と呼ばれたの?「逆賊・曹操」の出処に迫る

2019年10月6日


 

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曹操

 

三国志の真の主役ではないか、と考察される曹操(そうそう)。しかし曹操はしばしば「逆賊」と呼ばれているのを見かけますね。

 

赤鎧を身に着けた曹操

 

多才な人物であり、稀代の英傑である曹操がなぜそのような呼び方をされるのか?

今回はどうして曹操がそのように貶められているのか、その理由を探ってみたいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「逆賊・曹操」に影響を与えた作品はいくつかある

陸雲は曹操が大好き

 

曹操の逆賊化、悪役と言われると真っ先に思いつくのはやはり三国志演義ではないでしょうか。

 

劉備と曹操

 

三国志演義はどちらかというと蜀メイン、特に劉備(りゅうび)が主人公格として書かれていることもあって、心優しく仁徳に溢れる劉備に対する悪役、とした曹操が描かれています。

 

張飛、劉備、曹操

 

このことから三国志演義から三国志を知った人は「曹操は悪いやつ」という認識が生まれやすいようです。

 

手紙を読む曹操

 

しかし曹操が逆賊とまで呼ばれるまでになった理由全てが三国志演義にある訳ではないのが三国志の面白いところ。そこで次に曹操の逆賊化に影響を与えた文献、そしてそれを書いた人物を紹介していきましょう。

 

「漢晋春秋」に始まった曹操の逆賊化

水滸伝って何? 書類や本

 

漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)」という文献があります。これは東晋の歴史家、習サク歯という人物によって書かれました。

 

斉王になる司馬攸

 

東晋について少し説明すると、漢王朝から禅譲(ぜんじょう
)
されてでき上ったのが曹、そこから禅譲されてでき上ったのが西晋です。西晋は280年に孫呉を滅ぼして中国を統一、その後に内乱が起きて晋の政治体制はぐちゃぐちゃになります。この政治体制を立て直すべく建てられたのが東晋です。この東晋時代、西晋時代を合わせて晋、という時代とされています。

 

この頃に習鑿歯(しゅうさくし)が書いたのが「漢晋春秋」ですが、この文献は蜀漢を正統な王朝としているのです。そして晋は魏ではなく蜀から王朝を受け継いでいる、という主張である「蜀漢正統論」を唱えた最初の歴史書となっています。これは南朝各王朝の人々に受け入れられ、蜀漢が正しく、魏が悪いという図式が出来上がりました。

 

当時の禅譲と天命について

三国志を統一した司馬炎

 

実際には魏はあくまで禅譲によって漢王朝から王朝を受け継いでいるので、正当と言えます。しかし習サク歯は「漢晋春秋」では「禅譲と言っているだけで暴力で奪ったものだ」「天命は曹魏に受け継がれてはいない」と主張しています

 

女性に溺れる司馬炎

 

ここで少し禅譲と天命について説明しましょう。天命とは天子、帝に備わっているもので天から認められたという「力」です。これは徳によって強くも弱くもなり、弱くなると時代が乱れ、天変地異である災害が起こると考えられていました。つまり乱れに乱れてしまった漢王朝には、既にこの天命はないと考えられていたのです。実際には災害はあくまで偶然に近いものですが、当時はそう考えられていたのです。

 

曹操

 

しかし乱れた当時の世を正したのは曹操です。実際に曹操の手腕によって、漢王朝は落ち着きを取り戻したと言っていいでしょう。世の中は曹操を、曹魏の王朝を望みました。なので禅譲もあくまで穏やかに行われましたし、曹魏の王朝は徳のある世として受け入れられていたのです。

 

習サク歯の主張が広まっていく

曹操と劉備

 

さて時代は下がってきて習サク歯、彼によって曹魏の王朝には天命は受け継がれていないと主張されました。では天命はどこにあるかというと、劉備の蜀漢です。

そして蜀漢を併合した晋は天命を得た、というのが習サク歯の主張です。

 

曹操と劉備

 

この主張は段々と政治家たちや、民間に受け入れられて行ってしまいます。そこから生まれたのが「三国志演義」。

 

劉備と曹操

 

そう、曹操の逆賊化のスタートではないかと言われる物語だったのです。このことから曹操の逆賊化が幅広く知られてまるで事実のように扱われてしまっているのではないか、と筆者は考えました。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は曹操について、それも逆賊として扱われることが多い曹操について調べ、述べてみました。

 

曹操 五胡十六国

 

この事から分かったのは、曹操が悪役として言われ始めたのはあくまで晋や後の世であって、当時の三国時代ではそんな扱いはされていないということです。

 

曹操

 

寧ろ当時、多くの英雄たちの中で一番漢王朝のために貢献したと言ってもいい曹操、悪役な曹操もそれはそれでカッコいいですが、行き過ぎた悪役化は曹操の本質を見落とすことになるので、ぜひ三国時代だけでなくその近辺の時代についても知って欲しいですね。

 

参考文献:漢晋春秋 晋書習鑿齒伝

 

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曹操孟徳

 

 

 

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