今回は陸遜について、それも少し三国志演義での扱いについて触れていきたいと思います。三国志演義は皆さんもご存知の通り、かなり蜀びいきな内容が多く含まれます。
しかしそんな三国志演義でも陸遜はしっかりと活躍を書かれているだけでなく、蜀に大打撃を与えた人物とは思えないほど評価されています。これは当時としても陸遜が人気があったことの表れなのか……それとも他の意図があったのか?
そこで少し、三国志演義での陸遜の扱いについて考察していくとしましょう。
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陸遜と呉武将の三国志演義での扱い
陸遜の三国志演義での扱いについて、まず触れていきたいのは他の武将との扱いの違いです。
いきなり陸遜の話から離れますが、呂蒙という武将。
彼は関羽討伐に関わった主要武将の一人で、三国志演義では関羽の呪いによって死んでしまいます。また曹操も関羽の呪いによって衰弱していくなど、関羽討伐に関わった主だった武将たちの最期は報いを受けたかのように書かれています。
これは蜀びいきのみならず、関羽が後に信仰されたことも影響していると思われます。
が、陸遜はこれに当てはまらずに天寿を全うしています。この後の夷陵の戦いが控えているとはいえ、ここだけでも陸遜の扱いが他とは違う印象を受けますね。
正史と、演義での謎の石兵八陣の逸話
三国志演義では諸葛亮の扱いが別格です。天候を変えるなど魔法使いか妖術師か、というような行動を多々起こしていますよね。
蜀の中ではもはや伝説の人でもある諸葛亮は、正史である蜀書の中でも別格。
そんな諸葛亮と対比するかのように呉書では陸遜が周瑜、魯粛、呂蒙らを差し置いて別伝を書かれているなど、こちらもやはり別格の扱いを見せています。
そんな中で陸遜が敗北したかのように書かれたのが、三国志演義での石兵八陣。石兵八陣はあくまで三国志演義の創作ですが、これによって恐怖を感じた陸遜はいきなり撤退します。あまりにも唐突とも言える描写ですが、ここで陸遜よりも諸葛亮の方が凄い、という演出を入れたかった苦肉の策なのでは……?と訝しんでしまいますね。
陸遜は凄い人物でなければならない
先述したようにやや無理やりに諸葛亮の引き立て役にされた節もある陸遜ですが、もう一方では劉備の引き立て役にされているという見方もできます。
これは正史陸遜伝での扱いですが、陳寿は陸遜のことを「劉備は広く天下に知られた英雄だった。誰もが劉備を恐れていたのに、大して知られていなかった陸遜はこれを打ち破った。その陸遜を抜擢した孫権も素晴らしい」という評価を与えています。
一見すると陸遜や孫権を(珍しく)評価しているように見せて、前半を見ればやはり劉備を褒めています。日本の戦国時代でも良くあることですが、自分と良く戦った武将を褒めたたえることがあります。これは敵として称えるという意味だけではなく「そんな強い敵を倒した自分すごい!」という意図があるのは結構広く知られていますね。
つまり劉備を倒した人間だからこそ陸遜は凄い、という扱いをされているということです。
陸遜という武将の扱い
三国志においても、三国志演義においても陸遜はある意味で最も重要な働きをする武将です。それは劉備を打ち破り、蜀に大打撃を与える役割。もちろんこの後の魏への大打撃を与える役割もまた、陸遜の働きです。
蜀と魏に大打撃を与える役割である人物だからこそ、下手に貶められない。同時に陸遜という武将は非常に有能な人材であったこともまた、一因しているでしょう。しかし誇大広告という訳ではなく、本当に優秀な人物であった陸遜。
だからこそ三国志演義でもしっかりと天寿を全うさせた終わり方にしたのでは……と思われます。ただ「人気」だけでは収まらない、そんな陸遜の凄さを正史、演義ともに扱いから伝えていると思いました。
三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと着眼点を変えて、陸遜という武将に触れてみました。しかし正史と三国志演義の違いや、他の武将との比較など中々面白い考察になったかと思います。そしてやはり陸遜という武将の有能さも、改めて理解しました。
この有能さゆえに評価され、しかし最期は……そう考えると、陸遜に人気があるのは頷けます。
皆さんもぜひもう一度陸遜の伝記に目を通してみて下さいね。
参考文献:呉書周瑜魯粛呂蒙伝 陸遜伝
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