曹操の跡継ぎ争い本命はこっちの三名だった!曹丕の真のライバル曹昂と曹沖の実力はどれほど?

2019年11月22日


 

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後継者争いをしている曹丕と曹植

 

三国志の英雄、曹操(そうそう)が死去した際、曹丕(そうひ)曹彰(そうしょう
)
曹植(そうしょく)の間で跡継ぎ争いが起こります。

 

司馬懿と曹丕

 

ですがこの争い、三人のそれぞれのキャラクターが立っているために物語としては面白いものの、ぶっちゃけ読者も「この中では、まぁ、曹丕が妥当だろうな」という納得感はあるのではないでしょうか。

 

曹彰

 

曹彰は曹操死亡時に「魏王の跡継ぎの証拠になる印ってどこに保管してあるの?」という空気の読めない発言をして、まんまと曹丕に粛清される根拠を作ってしまい、早々に脱落。この警戒心のなさは人間としては愛されても、曹操の後継者としては論外なノンキさでした。

 

曹植

 

曹植はその人柄でファンが多かった人ですが、詩を作る才能で愛されていたわけであって、彼を慕っていた人々はあくまで文学サロン的な仲間たち。

 

曹丕と曹植

 

とても曹丕に対抗できないとみるや、曹植はすぐに助命嘆願のほうに態度を振り切り生き延びます。もっともこれは本人も跡継ぎに執着していなかったということであり、粛清を免れたというだけでも、正しい態度表明だったかもしれません。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

では曹操の後継者レースは最初から曹丕が有利だったのか?

 

曹昂(曹昴)

 

そうとも言えない事情があります。曹丕、曹彰、曹植に絞り切られる前に、また別の二人、有力な曹操の後継候補がいたのです。

つまり曹丕の真のライバル、曹昂と曹沖の存在があったのです。

 

曹昂(曹昴)

 

ではこの「真のライバル」の中では曹丕はどれほどの位置におり、残る二人の力量はどれくらいだったのでしょうか?

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の正式な長男は曹昂!その人柄は?

曹昂(曹昴)

 

まずは曹昂から見ていきましょう。この人物は後継者争いという点では、曹丕や曹沖よりも圧倒的に有利なポイントを持っています。曹操の最初の正妻の子、つまり家柄としては曹操の息子の中での「正式な長男坊」なわけです。

 

張繍

 

順当にいっていればそれだけで後継者になれたかもしれないポジション。ですが残念ながら、この人物は張邈(ちょうばく)の反乱の際に戦死してしまっています。『正史三国志』の曹操伝(正式には「武帝紀」)に入っている注釈によると、曹昂が死んだ理由は、張邈の謀反で絶体絶命に陥った曹操に自分の馬を差し出し逃がしてやったから、とされています。

 

幕末極悪な尊攘派志士と正義の新選組

 

まるで日本でいう武士道の物語のような、泣けるエピソードですね。自分の命よりも、英雄としての資質がある父親のほうをこそ生かすべき、という覚悟の座った人物だったようです。

 

ですが、ちょっと気になるところもあります。

 

絶命する典韋

 

この曹昂の死を曹操はとうぜん嘆いているのですが、同じ戦いで戦死した典韋(てんい)のことを持ち上げて、「曹昂を失ったことも哀しいが典韋を失ったことはもっと哀しい」という態度をとっているのです。

 

曹植と曹丕に期待する曹操

 

曹操の冷酷さを示すエピソードとも言えますが、曹操自身の頭の中では、曹昂はそれほど重要な跡継ぎ候補ではなかったのかもしれない、という疑惑が生まれます。

 

オカルト小説を書いている曹丕

 

このエピソードをきいたかぎりは、曹丕としても「たとえ曹昂が生きていてもオレにもチャンスはあったはず!」とほくそ笑んだのではないでしょうか?

 



後継者候補としてはかなり強力だった曹沖!はっきり言って天才児!

曹沖

 

問題となるのは曹沖のほうでしょう。曹昂や曹丕とは異母兄弟の関係です。

 

曹丕を生む卞夫人と曹操

 

曹操にはたくさんの側室と子供がいたので、曹沖も「多数の中の一人」にすぎないところですが、どうやら曹操はこの子のことを溺愛し、特に目をかけていたふしがあります。伝えられているエピソードとしても、曹沖の存在感は、何やらとびぬけています。

 

三国志 象兵

 

たとえば彼が幼少の時に、異国(東南アジアかインド)から象が贈られてきたことがあります。

 

「この象はどれくらいの重さなのだろう?」と大人たちが会話をしている中で、とつぜん曹沖が声をあげて、

 

「船に象を載せて水に浮かべ、沈んだところに印をつける。同じ船にあとでその印まで沈むように荷物を載せていく。そうすれば、その荷物と象の重さが同じはず」という、天才数学者か天才物理学者の子供時代エピソードのような発言をして周囲を驚かせています。

 

曹操はよほどこの曹沖が気に入っていたようで、明らかに後継者候補として帝王教育を施していたようです。これは曹丕も心中穏やかではなかったでしょう。

ただし曹丕にとっての幸運がまたしても起こります。

 

曹沖が亡くなり悲しむ曹操

 

この曹沖は惜しまれつつも、わずか十三歳で夭折してしまうのです。

 

まとめ:この後継争いを勝ち抜けたのは曹丕の「幸運度」?

曹昂(曹昴)

 

曹操の最初の男児という、筋目のよさでリードしていた曹昂

明らかに天才児ゆえ曹操に溺愛されていた曹沖

 

皇帝に就任した曹丕

 

この二人が存命だったならば、曹丕は後継者候補の中でかなり苦しい立場だったでしょう。ところがそれぞれが早世してくれたおかげで、天下は曹丕の手の中に!

 

撃剣を使う曹丕

 

これを意識していたのか、曹丕も後に、「曹昂が生きていてもたいしたことはなかったが、曹沖が生きていたらとても私も皇帝にはなれなかった」と言っていたそうです。曹昂にとってはカチンとくる発言ですが、曹丕自身も自分が後継者になれたのはよほどな幸運があってのこと、という自覚は持っていたようですね。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

ともあれ、こんなイヤな対立だらけの曹操家の男子には生まれたくない、というのが私の率直な感想ではあります。

 

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曹操孟徳

 

 

 

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