あの関羽が馬超を殺そうとした?まさかの殺人未遂?


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

父・関羽とともに亡くなる関平

 

関羽(かんう)は蜀(221年~263年)の将軍です。蜀建国前には亡くなっているので、正確には後漢(25年~220年)末期の将軍が正しいです。

顔良を討ち取る関羽

 

関羽は小説『三国志演義』では一騎当千の豪傑として描かれていますが、史実では顔良(がんりょう)を討った功績しかなく、豪傑というよりも統治能力の高かった指揮官という感じでしょうか?

 

激怒する関羽

 

さて、そんな関羽ですが彼が馬超(ばちょう)を殺そうとしたという話が残っています。今回は正史『三国志』をもとに関羽が馬超を殺そうとした話を紹介します。

 

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。

 

自称・皇帝
当記事は、
「関羽 馬超」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:呂蒙はどうして関羽を殺したの?最初から関羽を殺害する目的だったの?

関連記事:関羽を倒したのは呂蒙ではなく于禁だった!関羽に致命傷を与えた于禁の戦略とは?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



関羽、荊州から瞬間移動する!?

蜀 武運を誇る馬超

 

建安19年(214年)に漢中の張魯(ちょうろ)の客将だった馬超は劉備(りゅうび)に降伏してきました。劉備は手厚くもてなしてあげましたが、調子に乗った馬超は「玄徳」と劉備を(あざな)で呼びます。

 

馬超をフルボッコする閻行

 

少し話はそれますが、中国人は親でもない人から本名を呼ばれることをすごく屈辱に感じます。例えば我々が劉備の本名を気安く呼んだら、その場でリアル・ファイト開始!それを防ぐためにあったのが字です。ただし、これも主従関係が勝手に呼び合ってよいものではありません。

 

羅貫中と関羽

 

劉備の場合は官職が左将軍だったので「劉左将軍」、曹操(そうそう)は丞相なので「曹丞相」が正しい呼び方です。馬超は主人に対してなれなれしいですね。さて、脱線したので話を戻します。関羽はどこで聞いたのか知らないですが、馬超の態度に「野郎、ぶっ殺してやる!」とキレてしまいます。

 

関羽はこの時期、荊州にいるのですけどスゴイ早い情報網です。一方、劉備は「馬超は切羽詰まって降伏したんだ。字を呼んだ程度で、なんで殺さないといけないんだ?そんなことで天下の人の理解が得られるか?」とコメント。

 

劉備の手紙も素早すぎる・・・・・・なんか、この話って変なのですけど?

 

張飛の虎髭

 

劉備の近くにいた張飛は「俺が礼儀を教えましょう」と言った。翌日、宴会に招かれた馬超が劉備の方向を見ると関羽と張飛が護衛として立っており刀を握っていました。殺されると思った馬超はこれ以降、劉備を字で呼ぶことはなかったようです。

 

なぜ荊州にいるはずの関羽が劉備の護衛に回っているのでしょうか?まさか関羽は『ドラゴンボール』の瞬間移動の技を会得したのでしょうか?

 

裴松之(歴史作家)

 

案の定、正史『三国志』に注を付けた裴松之(はいしょうし)は、筆者と同じツッコミをしていました。この話は楽資という人が執筆した『山陽公戴記』という書物に記されている話であり、裴松之が「史籍の罪人」と呼んでいる書物の1つです。

 

裴松之は「なんで、関羽と張飛(ちょうひ)が立っているだけで、馬超は自分が殺されると分かるのだ?意味が分からん!」と言っています。確かに「超推理」ですね。『MMR』も顔負けです・・・・・・

 



気になる関羽

関羽

 

それでは実際の関羽はどうだったのでしょうか?

 

文句を手紙に書く関羽

 

関羽が馬超のことを気にしていたのは事実のようです。

 

孔明

 

諸葛亮(しょかつりょう)にわざわざ手紙まで送って「馬超ってどんなの?」と尋ねています。諸葛亮はこれに対して、「馬超は文武両道であり張飛に匹敵しますが、ヒゲさんの敵ではありません」と返答します。

 

関羽と周倉

 

「ヒゲさん」というのは諸葛亮が呼んでいた関羽のあだ名です。返信を読んで安心した関羽は、みんなに手紙を見せて回ったそうです。もしこの時代にLINEがあったら、確実にアップするでしょうね(笑)

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が関羽が馬超を殺そうとしたお話でした。LINEの話で思い出したのですけど、先日横山光輝氏『三国志』のLINEビッグスタンプが販売されたそうです。1スタンプ250円。「だまらっしゃい!」「むむむ」などがあります。残念ながら私の好きな「孔明の罠だ」「わしを殺せるものがあるか」はありませんでした。だが、これを買わされる時点で孔明の罠にかかっているのかもしれません・・・・・・

 

※参考文献

・上谷浩一「関羽の死―『三国志』研究ノート<3>―」(『東洋史訪』15 2009年)

 

はじめての三国志コメント機能特集バナー115-13_bnr3

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。関羽のファンという人はコメントをお願いします。

 

関連記事:劉備は趙雲や関羽・張飛と同じベットで寝ているけど狭くない?

関連記事:老将黄忠の活躍に関羽も嫉妬?生涯現役を貫いた猛将を考察

 

馬超特集

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-,