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劉禅の妻である星彩は2人だった?劉禅の妻について解説

2019年12月16日


 

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劉禅と結婚する敬哀皇后

 

「真・三国無双」シリーズに星彩(せいさい)というキャラクターがいます。張飛(ちょうひ)の娘であり、劉禅(りゅうぜん)の妻という設定になっています。初登場は「真・三国無双4」でした。中学3年の筆者は「自分の読んだ『三国志』に、そんな人いたっけ?」と思いながらプレイしていた記憶があります。

 

正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

その時期の筆者は正史『三国志』と小説『三国志演義』の区別もついていませんでしたからね・・・・・・ところで史実の星彩は2人いるらしいです。これはどういうことでしょうか?今回は正史『三国志』をもとに劉禅の妻について解説します。

 

自称・皇帝
当記事は、
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉禅最初の妻 敬哀皇后

星彩

 

劉禅の最初の妻は敬哀皇后(けいあいこうごう)という人物です。父は張飛(ちょうひ)、母は(220年~265年)の夏侯覇(かこうは)の従姉。敬哀皇后の名前と生年は分かっていません。小説『三国志演義』では建安12年(207年)の生まれになっていました。つまり、劉禅と幼馴染という設定です。

 

巫女に神頼みをする劉禅

 

蜀が建国された章武元年(221年)に劉禅の妃に任命されて、建興元年(223年)に劉禅が即位すると皇后になります。特に何かしてきたわけでもないようです。諸葛亮の死から3年後の建興15年(237年)には亡くなっています。

 

劉禅2人目の妻 張皇后

張飛のヨメ

 

張皇后(ちょうこうごう
)
は亡くなった敬哀皇后の妹ですが、張飛の何番目の娘かは不明です。やはり、生年・名前は伝わっていません。建興15年(237年)に姉が亡くなると宮中に入って、翌延熙元年(238年)に皇后となります。

 

降伏する劉禅

 

咸熙元年(263年)に蜀が魏の攻撃を受けて滅亡すると、劉禅と一緒に降伏しました。その後は彼と一緒に洛陽に移住しますが、その後の消息は不明となります。

 

子について

劉禅

 

劉禅と2人の皇后の間に子がいたかについては不明です。劉禅には皇太子の劉璿(りゅうせん)という人物がいるのですが、この人は敬哀皇后の侍女を務めていた王貴人との間の子です。

 

裴松之(歴史作家)

 

劉禅は側室との間の子を後継者にしています。正史『三国志』に注を付けた裴松之(はいしょうし)が持ってきた『蜀世譜』という史料によると、劉璿には劉瑶・劉琮・劉瓚・劉諶・劉恂・劉虔という弟がいます。実弟なのか、異腹弟なのか『蜀世譜』から判明しないですけど、筆者が見た感じでは劉璿・劉瑶・劉琮・劉瓚は同母兄弟の可能性が高いと考えています。

 

なぜなら中国には「輩行」というものが存在しており、同一世代の親族には同一の漢字の偏旁を用いることがあるからです。劉諶・劉恂・劉虔は同一の漢字の偏旁を使用しているかは分かりません・・・・・・もしかしたら、字(あざな)に同一の漢字の輩行字が隠されているかもしれません。とは言っても、3人とも字が伝わっていないので確かめることは不可能です。真相は永遠に闇の中・・・・・・

 

星彩は誰のこと?

 

星彩は敬哀皇后と張皇后のどちらを指しているのでしょうか?1番根強い説は、KOEIのオリジナルキャラクター説です。張飛の娘というのが2人もいるから面倒なので、1つにまとめましょう、という結論。無双ファンの間では、寿命の長さから張皇后がモデルに近いと考えられています。

 

三国志ライター 晃の独り言 三国志演義被害者の会

三国志ライター 晃

 

ネット検索をしていたら「うほっ、面白そうな本!」と思うものに出会えました。その名も『三国志演義被害者の会』という本でした。中身は正史では、壮大に描かれているのに、小説『三国志演義』では「悪党」・「マヌケ」という風に描かれている人に焦点を当てた本のようです。

 

朝まで三国志2017追加22 周瑜

 

例えば魏延周瑜・魯粛など・・・・・・筆者も最初は、小説の内容を鵜呑みにして後から真実を知ったので、こういう本を書きたくなる気持ちは分かります。でも、だからといって小説『三国志演義』の価値は落ちないと思うのですよ。正史の価値を知って、改めて小説を見直すと面白みも増すものです。

 

筆者はそう考えながから記事を書いています。ちなみに先ほど紹介した本は電子書籍らしくて、店頭には無いようです。興味ある人はご購入してみてください。

 

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