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荀攸が有能な理由をお伝えします!『名探偵コナン』との繋がりも解説

2020年1月14日


 

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荀攸

 

荀攸(じゅんゆう)(220年~265年)の軍師です。魏の建国前には亡くなっているので正確には後漢(25年~220年)末期の人物が正しいです。

 

荀攸と荀彧

 

同郷の荀彧(じゅんいく)従子(おい)ですが、彼よりは年長者に該当します。これは荀彧の祖父と荀攸の曾祖父が兄弟の関係だからです。さて、今回は荀攸の有能さを正史『三国志』をもとに紹介します。

 

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています

 

自称・皇帝
当記事は、
「荀攸 有能」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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名探偵 荀攸

荀攸

 

荀攸は幼い時に父を失い、祖父の荀曇(じゅんたん)と叔父の荀衢(じゅんく)に育てられます。やがて荀曇も亡くなって葬式を終えてしばらくしたある日、かつて荀家で働いていた役人の張権という男が急に現れて「荀曇さんの墓守をさせてください」と言い出します。

 

荀攸と荀彧

 

普通なら親族がやることなのですが、急に現れた赤の他人が面倒くさいことを引き受けるなんて変な話。荀攸はこの時13歳でしたが、さすがに見るからに怪しいと思い叔父に相談します。

 

「張権には、ただならぬ様子があります。おそらく悪事をしでかしたのでしょう」

 

少し思い当たることがあった叔父は調べてみたところ、張権は殺人を犯して逃亡していたことが発覚。その後のことは書かれていませんが、おそらく張権は逮捕されたと思われます。こうして事件は解決したのでした。

 

ガマンした者が勝ち 董卓暗殺計画

何進

 

大将軍の何進が権力を掌握すると荀攸は同郷の荀彧・郭図・鍾繇と一緒に就職します。就職先は洛陽でした。中平6年(189年)に何進は宦官との政治闘争で殺害されてしまい、代わりに董卓が政権運営を行います。しかし董卓の政治方針に反発した袁紹・曹操が各地で反乱を企てました。おかげで董卓は長安に遷都。

 

「董卓なんかに付き合っていられない」と思った荀攸は、同僚の鄭泰・何顒・种 輯・伍瓊・と董卓暗殺を相談しました。何顒は若い時の曹操の実力を認めていた数少ない人物です。

 

荀攸と牢屋

 

だが、計画はバレてしまい荀攸と何顒は捕縛されて牢屋に入れられました。伍瓊は単身で董卓に手を下そうとして殺されます。鄭泰と种輯は助かりますが、彼らがなぜ助かったのかは不明です。何顒はその後、牢屋での生活に耐えられなくなり自殺してしまいますが、荀攸は平気な顔で過ごしていたようでした。やがて時は流れて中平3年(192年)に董卓は暗殺されて、荀攸は自由の身となります。

 

張郃・高覧の降伏を受け入れる

官渡の戦い 騎馬兵

 

建安5年(200年)に曹操は袁紹(えんしょう)と官渡で天下分け目に戦いを行いました。最初は袁紹軍により苦しめられた曹操軍でしたが、袁紹軍の許攸(きょゆう
)
が投降して烏巣の兵糧庫の場所を教えたので、そこを奇襲。

 

張コウ 張郃

 

曹操軍は逆転勝利をおさめました。この時、袁紹軍から張郃と高覧が派遣されました。張郃(ちょうこう)は出陣前に烏巣の援軍に行くことを主張しますが、郭図は手薄になっている曹操軍の本陣を突くことを主張。

 

袁紹軍では意見が対立しました。結局、袁紹は「どっちも採用」という優柔不断な態度を見せたので、張郃の怒りに火をつけます。当然、本陣を攻撃しても防御がしっかりしているので落ちませんでした。「もう袁紹なんてヤダ!」と思った張郃と高覧は投降を決意。ところが曹操の従弟の曹洪は、2人の投降を偽装投降と思って受け入れる気がありません。

 

「信じてよ!」と言っても曹洪は、なかなか信用してくれません。その時、荀攸が曹洪に耳打ちしました。

 

「張郃は自分の計略が用いられなかったから、腹を立てて降伏したのです。どうして疑うのですか?」

 

要するに荀攸は曹洪に「あなたも将軍ならば、彼らの気持ちを察してあげてください」と言っているのです。

 

曹操に仕える張コウ(張郃)

 

この結果、曹洪は張郃の投降を受け入れてあげたのでした。荀攸がいなかったら、魏の五将軍の張郃はいなかったのです。

 

三国志ライター 晃の独り言 『名探偵コナン』に同様の話があった?

三国志ライター 晃

 

以上が荀攸の有能さに関しての解説でした。実は今回掲載した荀攸の青年期のエピソードと類似したものが『名探偵コナン』で放送されたことがありました。原作には無く、アニメのオリジナルエピソードです。おそらく筆者が中学生ごろだったと思います。

 

ある日、コナンと少年探偵団の所に同級生の少年が来ます。少年によると祖父が亡くなってしばらくすると、見知らぬ男が現れました。

 

男は、「生前、君のお爺さんから大変お世話になりました。ご恩返しをさせてください」と言って、家事手伝いをするようになります。少年の家族は男に見覚えは無いが、人が良さそうなので好きにさせてあげます。

 

しかし少年は、「おじいちゃんは性格はケチだったし、人助けなんてする性格とは思えない」と斬り捨てます。孫から言われて死んだおじいちゃん可哀そう・・・・・・最終的に、男の正体は逃走中のドロボーであったことが判明して解決します。

 

話は荀攸のと類似しています。もしかしたら、製作スタッフが正史『三国志』に目を通して、それをもとに作ったのかもしれません。

『名探偵コナン』は割と歴史の話を取り入れることがありますからね。

 

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※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。上記のコナンの話を記憶している人はコメントください。

 

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官渡の戦い特集

 

 

 

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