正史三国志では余り目立たないけれど、三国志演義だと見せ場がある。むしろ正史の方が最期は目立っているのに、三国志演義ではあっさりめに書かれている。こういう齟齬が面白いのが三国志ではありますが、正史でも三国志演義でもあっさりと幕を引かれる存在・馬超。
蜀に来てからの馬超の働きはそこまで特筆することはなく、その後は五虎将軍になったとは思えないほどあっさりと終わります。今回はこの馬超について、どうして五虎将軍にまでなった彼の活躍は蜀ではそこまで描かれなかったのか、考察してみたいと思います。
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蜀に来るまでの方が活躍の場が多い?
馬超といえば、曹操への復讐を誓う若武者としてのイメージが強いのではないでしょうか。特に三国志演義では馬超は曹操に父親と兄弟を殺されて復讐を誓うも、何度も曹操と戦っては離間の策にかかって敗退、その後に蜀を攻略している劉備の下に身を寄せるという風に描かれています。
しかし蜀の劉璋から離反して劉備の配下になり、五虎将軍として任命されてからの馬超の活躍するシーンはほとんどなく、最期に病死が知らされて終了します。なので色々な意味で馬超が活躍するのは劉備のところに来るまでなんですね。
五虎将軍にまで任命されたのに活躍の場がなくて、演義を見ていて驚いた人も少なくはないでしょう。実際に正史を追いかけても馬超は五虎将軍に任命された後の活躍はほとんどなく、やはり病死します。しかし馬超の正史だけでなく演義での記述の少なさについては、その五虎将軍に任命されたことを考えれば少しは推測されます。
なぜ馬超は五虎将軍に任命されたのか?
馬超は蜀にとって考えると重要な人物であることは間違いありません。なぜなら馬超は涼州勢力の長であり、独立勢力の人物です。しかも馬超が劉備についたことで劉璋は降伏を決めました。つまり劉備から見れば入蜀する際にお世話になった独立勢力のトップ的存在です。
言ってしまうと、扱いに注意しなければならなければいけない存在。だからこそ馬超は五虎将軍に任命されたのではないでしょうか。これを踏まえて考えると、正史で見ても馬超の活躍があまりないのは戦わせるにも戦わせづらい位置にいたのかもしれませんね。そして更に演義での記載の少なさもここが起因してくると思われます。
馬超の扱いの難しさは
馬超以外に蜀の五虎将軍に任命された人物といえば、関羽、張飛、趙雲、そして黄忠。早々たる顔ぶれですが、彼らには劉備に仕えた後にかなり見せ場が用意されています。
関羽なら顔良との打ち合い、張飛や趙雲は長坂での戦い、黄忠といえば定軍山……ここらでの活躍があるので、三国志演義でも活躍が描写しやすいのです。また馬超と違って死んだタイミングが非常に扱いづらいのでしょう。
まさか漢中戦で死なせられない、荊州は関羽の見せ場、夷陵では張飛の死、劉備の敗北メイン……同じく正史記載が少ない黄忠は三国志演義では見せ場を作られてからの退場なので、馬超にももう少し気遣いがあっても良いかと思うのですが……創作の中でも馬超というのは扱いが難しい位置にいたのかもしれませんね。
馬超が最期に残した、家族への言葉
ただ馬超は病死といえど最期に、「私の身内200人余りは曹操に殺されてしまいました。しかしまだ従弟の馬岱が残っています。彼をくれぐれも宜しくお願い致します」と残った身内の馬岱について残しています。馬岱というと三国志演義で「ここにいるぞ!」と魏延を切ったことが有名ですが、実際には馬岱の記述はそこまでなく、あくまで魏延と楊儀が対立した時に敗れて逃亡した魏延親子を斬ったことしか正史には残されていません。
三国志演義では馬超の父親たちが曹操に殺された時の生き残りであったり、その後も馬超の元で活躍を支えたり、諸葛亮に信頼されていたり、魏延最期のシーンだったりと中々に活躍が多い馬岱。むしろ馬超よりも活躍が多いイメージですが、これは作者からの馬超への記述が少なくなってしまったことへのお詫びに馬岱という従兄弟を活躍させたのでは……と筆者は妄想してしまうのでした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は正史でも、そして三国志演義の方でもどちらかというと蜀に来てからの方が活躍の場が少ない馬超について述べてみました。色々な状況も相まって、馬超という存在は扱いが難しい位置だったのかもしれません。
むしろ三国志演義の方を見ていると最後の見せ場で目を引く分、馬岱に目が行きますが……それも馬超の最期の言葉に手向けた三国志演義からの贈り物だったのかもしれませんね。馬超の蜀に来てからのその後は「錦」を飾られたかどうかは分かりませんが……それでも筆者はそのその後に、何かしらどこか救いがあればいいなと思いました
参考文献:蜀書馬超伝 魏延伝