ちょんまげ頭の髷を切り落とすと落ち武者ヘアーというモノになります。今や、パーティーグッズでもおなじみのあの髪型ですが、実際の落ち武者がどんな運命を辿るのかは分からない人も多いのではないでしょうか?
今回は戦国時代の影の部分、落ち武者の過酷な運命について解説します。
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この記事の目次
落ち武者ヘアはどうして起きる?
落ち武者と言えば、あの特徴的な落ち武者ヘアーです。大河ドラマや時代劇では戦に敗れて逃げていくサムライ達は、大体あの髪型ですが一体どうしてなのでしょうか?
実は戦国時代の髷は江戸時代のような丁髷ではなく、茶道の茶筅のような後頭部に髷を立てる茶筅髷でした。ですので兜を被る時には邪魔になり、出陣前に解いて髪を背中で束ねていたのです。
戦争に負けてしまうと身元が分かるような重い兜は投げ捨て、我先に逃げていくので次第に整えた髪も解けてザンバラ髪になり、やがてお馴染みの落ち武者ヘアーが出来上がってしまうわけですね。
農民が全て敵になるバイオハザード
さて、戦に負けた時に落ち武者の最大の脅威になるのは、落ち武者狩りです。特に恐ろしいのは、敵の落ち武者狩りではなく地域の農民などによる落ち武者狩りでした。中世の日本人は、戦に敗れたり政争に敗れて島流しにあうような人間は法律の保護を失った法外人であり、殺して金品を奪っても何も悪くないという常識で生きていました。
私達のイメージでは、落ち武者狩りの農民は、精々、竹やりくらいしか持たない十人程度の集まりで脅してやれば逃げ散るように考えてしまいますが、実際には、そんなに甘くはありません。
例えば室町時代の記録では、落ち武者が出た事が分かると、村では鐘を鳴らして半具足の村人300人を集め戦闘名簿に名前を記録して、落ち武者が出てきそうな道々に手分けして待ち伏せて、組織的な落ち武者狩りをしていた事が出ています。当時の農村は惣村と呼ばれ、武装して外からの侵略を跳ね返すだけの力を持っていました。いくら落ち武者が武芸の達人でも、ある程度の集団でない限り、武装して集団化した農民の落ち武者狩りを逃れるのは難しかったのです。
耐えがたい喉の渇き
仮に、落ち武者狩りを潜り抜けたとしても、落ち武者には果てしない飢えと渇きが待ち受けていました。戦地では、兵士ひとりにつき一升の水が割り当てられていますが、もちろん、破れた落ち武者に水の支援などあるわけがありません。ましてや、敵地では、どこに水があるか簡単にわからないのです。
そして、運よく村を見つけて井戸を発見したとしても、これを簡単に飲む事は要注意でした。戦争に巻き込まれた村では、井戸の中に死骸や人糞を投入して、敵が使えないようにしていた事が多い事が、江戸時代前期の書物、雑兵物語に出てきます。
渇きに負けてそんな水を飲めば、たちまち伝染病に罹患し、下痢と嘔吐で体力を失くして野垂れ死ぬ運命が待っていたのです。運が良ければ、川を見つける事もあるかも知れませんが、水が変わるとお腹を壊す事が多いうえ、川は死んだ兵士の死骸などで汚染されている可能性が高く、これまた腹下しによって体力を奪われ、途中で力尽きる事に繋がったのです。
無事落ち延びる方法1:一人で落ちない
では、無事に落ち武者が狩られずに落ち延びる方法はないのでしょうか?
その方法としては絶対に一人では逃げない事です。一人では四六時中緊張を解く事が出来ず、敵に包囲されれば終り、そうでなくても寝込みを襲われても終りです。
例えば、徳川家康も本能寺の変の直後に落ち武者狩りに遭いますが、軽装備ながら34人という供がつき、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝のような歴戦の猛者がいた上、多少の金品があったので何とか落ち延びる事が出来ました。
農民の落ち武者狩りは、あくまでも落ち武者が無抵抗というのが前提であり、激烈な抵抗を受けて、こちらに死者が出るようでは割が合わないので、その場合には引き下がらざるを得なかったのです。家康の例にならい、落ち武者になったら決して一人では落ちず、ある程度安全な場所に出るまでは団体行動に徹するのが命を守ります。
無事落ち延びる方法2:サバイバル技術
雑兵物語では、決して戦場では生水を飲んではいけないと書かれています。つまり、鍋や茶釜のような水を沸かせる道具を持ち、煮沸する事が出来れば赤痢のような疫病を防げます。もし、水も茶釜もないなら草木を齧って僅かな水分で渇きを抑えるか、木綿があれば、それで泥水を濾して上澄みを飲む、それもないなら死んだ動物の血を飲むように雑兵物語は勧めています。余談ですが漫画、花の慶次では籠城して水を絶たれた慶次に叔父の前田利久が自分の肩に小刀で傷をつけ、自分の血を飲んで渇きを癒すように言うシーンがありましたが、あれはリアルな話だったんですね。
無事落ち延びる方法3:寺に逃げ込み人生リセット
当時のお寺は公界と呼ばれ、世俗の権力が入る事が出来ないアジールでした。
なので、逃亡先にお寺があれば、覚悟を決めてそこに逃げ込むのも1つの方法です。
但し、寺に逃げ込む事は現世との縁を切る事でもあるので、その武士に土地や財産があっても、これを相続する権利は失われます。今風に言えば、自己破産の戦国版が寺に逃げ込む事なのです。
なので、帰る所がある限りは無暗に寺に逃げ込むのは考えた方がいいかもです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
落ち武者になって、実際に生き延びた人の記録はあまりありません。しかし、雑兵物語など合戦の極限状態を知る足軽の言葉などから過酷な落ち武者狩りの実態が分かってきました。当時の足軽は戦場を飢饉と思えと言い残しています。勝ち負けが決まる前でさえそうなら、敗北した後の戦場は地獄そのものになったでしょう。
参考文献:絵解き雑兵足軽たちの戦い
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