三国志最強の武将というと、皆さんはどんな武将が思い浮かぶでしょうか。
関羽?張飛?いやいや個人の武勇といえばやはり呂布を多くの人が思い浮かべると思います。
三国志を良く知らなくても呂布のしかし呂布は知っていてもその呂布の生い立ちは知らない、という人も多いのでは?
今回はそんな呂布について、謎に包まれた生い立ちについて少し述べたいと思います。
「呂布 生い立ち」
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呂布の生い立ちは謎に包まれている・・・
繰り返しますが呂布の生い立ちは謎に包まれています。というのも序盤だけとは言えあれだけのインパクトの強い呂布、実は生い立ちだけではなく生年さえも不明なのです。幼少期からのエピソードの一つもありそうですが、それもなし。唯一分かっているのは并州で刺史を務めていた丁原に仕えていたということ。
そしてその頃からその凄まじい武勇から大変重用されたということだけです。つまり呂布のスタートとは生まれではなく、この丁原からとも言えます。そこでこの丁原について、もう少し見ていきましょう。
丁原という人物
さて丁原は貧しい生まれの人間だったそうです。このため学問の面では能はなかったものの、武芸には優れていた人物でした。性格は粗野で気質は軍人、しかし武勇の面では優れていて自ら先頭に立って戦う人物でもありました。
政治面では優れなかった丁原ですが呂布や張遼を見出した人物でもあり、そういった面では人を見る力はあったと言っても良いでしょう。丁原自身は霊帝、何進、董卓と仕える人物を変えていき、最終的に皇帝にたてる人物で董卓と意見が合わずに対立、その後は呂布に背かれて殺されて配下ごと董卓に吸収されて終わります。
なんだか見ていくとちょっと三国志演義の呂布に似た人物ですね。さてここまでで「三国志演義の丁原と違う」と驚いた人もいるのではないでしょうか?
そこで三国志演義の丁原も比較として見ていきましょう。
三国志演義では義父になった丁原
三国志の丁原と三国志演義の丁原の最大の違いは、呂布の義父として描かれている部分です。またここでも董卓と対立しますが、ここでは忠誠心と義から董卓と対立しているようにされていますね。そして董卓と戦うのですが、呂布の武勇によって董卓に勝利……しますが、ここでもやはり呂布の裏切りによって殺されてしまいます。
因みに小さな違いではありますが三国志では「并州刺史」ですが、なぜか三国志演義では「荊州刺史」になっていますが……これについても残念ながら謎のままです。
三国志演義の呂布は丁原要素を吸収したのか?
さてここで少し妄想という名の推測タイムですが、三国志演義の呂布は丁原の要素をやや吸収して描かれていると思います。要するに性格的に粗野で政治や策略に向いていないキャラクターですね。また三国志演義では丁原を上司ではなく義父にしていること、その丁原が忠義心のある人物にしていることで呂布の裏切りがより一層ひどく感じるようになっていると思います。
何せこの後に董卓とも義親子関係になり、しかもまた裏切るので二度も義父を裏切る人物となってしまうのですね。これは呂布が「親を裏切る人物」として「不孝」に当たる人間であるという三国志演義の演出なのではないでしょうか。
呂布の生い立ちは謎のままですが、敢えて丁原の養子にすることでより呂布という人物にキャラクター性を持たせる……良いイメージではないにしろ、ここで呂布の人物像をしっかりと演出しているというのがやはり三国志演義の巧みな演出。謎の生い立ちを逆に利用した、面白い描き方だと思いました。
三国志ライター センのひとりごと
三国志では正に天下無双とも言うべき武将の一人、呂布。彼の生まれは謎が多く、いまだに丁原に仕えるまではどうやって生きてきたのかは分かりません。だからこそ三国志演義では大幅に改良され、三国志とはまた違う方向にキャラクター性を持たせられたのでしょう。
しかしその影響のためか丁原が義の人みたいに描かれて呂布が裏切り者みたいになってしまったのは、何だかちょっと可哀想と思います。序盤の武将でもある呂布ですが、もっと色んな面から見ていきたいと思わせる武将ですね。。
参考文献:魏書呂布伝
後漢書霊帝紀 董卓伝 公孫瓚伝
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