「三大名物」とか「四天王」とか、または「五人戦隊」とかいった、数にからめた呼称というのは、物事を覚えやすく印象付けるためによく使われます。三国志についても、「十常侍」(!)やら「三顧の礼」やら、数にちなんだ呼称や故事はよく登場します。
特に有名なのが、劉備率いる蜀の将軍たちの中から選ばれた、「五虎将軍」。関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超の五名です。
ところがこの五虎将軍という呼称、もっぱら『三国志演義』で強調されている名称にすぎず、史実に近い書籍である『正史』のほうには登場しないということを、ご存じでしょうか?
それどころか『正史』の記述を見ていると、特に趙雲については、そもそもこの五人組に加われるほど偉い身分でもなかった可能性すらあるのです!
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この記事の目次
実際はどれくらい偉かった?史実における趙雲の蜀でのポジション
『正史』における趙雲の扱いは、実にあっさりとしています。
・超半の長坂の戦いで劉備の子を助けた
・晩年はベテラン将軍として諸葛亮の北伐にも参加し活躍した
はっきりと記述されている功績は、この二つくらい。関羽や張飛の貢献度にはかないません。
組織の中でのポジションとしても、趙雲自らがどこか広大な範囲の軍勢を担当していたような記録は見当たりません。荊州をまるまる任されていた関羽のような重要ポジションとは違うようですし、劉備の晩年の最重要拠点であった漢中の守備も、もっぱら魏延が責任者であったと推測されます。
つまり魏延あたりのほうが階級としては趙雲よりも偉かったのではないか、「五虎将軍」というなら魏延あたりのほうがふさわしいポジションだったのではないか、と推測される展開が多々あるのです。
中国において後世になるほど激変!趙雲評価の変遷!
ところがこの趙雲、本土中国では時代が後世になればなるほど伝説が付加され、劉備軍の強力な主戦力であったということに、評価が変わっていきます。おそらくは長坂の戦いのインパクトのおかげでしょう。
劉備の跡継ぎである劉禅の命を救ったということは、それひとつだけでも大変なインパクトのある功績です。
「そんな働きをする将軍ならば、劉備からの信頼も厚かったはずだし、当然、他の合戦でも大活躍をしていたに違いない」という民衆の夢が、趙雲の評価に乗っていったのではないでしょうか?
その結果として、羅貫中の『三国志演義』では、趙雲といえばまるで一騎打ち名人の如く、さまざまな合戦で「敵将を一突き」で撃破する担当になっています。『演義』中での一騎打ち白星は、関羽や張飛に負けないくらいの数になっているのではないでしょうか。
ただし面白いことに、このようにどんどん「強さ」の評価が上がっていったとしても、中国では長年、趙雲といえば「ベテラン将軍」、時には黄忠のような「老将」としてのイメージが長く続いていたそうです。
ところが、日本の最近のメディアでは、「趙雲」といえば若手の貴公子然としたキャラクターで描かれることがめっきり多くなりました。強さの評価が中国民衆の中でどんどん上がっていった、というのはともかく、顔の整いぶりに関する評価が日本で上がっていったのは、なんなのでしょうか?
「五虎将軍」の中でのキャラ立ちが重要?容姿がどんどん若返っていった趙雲
ヒントとなりそうなのは、冒頭で触れた、「五虎将軍」でしょう。この五人の中でのキャラ立ちを、さまざまなクリエイターが追及していくうちに、戦隊ものでいえば「赤がリーダー、青が参謀役」と決まっているように、五人のキャラクター分担がわかりやすくなるように決まっていってしまったものと思われます。
関羽がリーダー格。
張飛がユーモア担当。
黄忠が高性能おじいちゃん。
と、この三人がそろった時点で、趙雲が「ベテラン格」では黄忠とキャラがかぶってしまうため、描き分けが必要になってしまうことに気づきます。そこで、むしろ黄忠とは正反対の属性、「みんなよりも若い弟分役」としてのキャラクターが、趙雲に求められたのではないでしょうか。そうしているうちに、一部の作品では「美形担当」という、おいしい役目も趙雲に回ってきたものと考えると、だいぶ納得がいきます。
まとめ:かえすがえす見事な五人のキャラの使い分け
ところで、そうすると馬超は何担当なのでしょう?
「錦馬超」などという言葉が登場するわけですから、彼が美形担当という選択肢もあったはずです。
ですが馬超には史実として、劉備軍に加わるタイミングが遅すぎる、という悩ましい点があります。かつ亡くなる時期も早すぎる。
登場回数が少ないせいで、イケメン枠を趙雲にとられ、「強いけどミステリアス」という不思議な役回りが馬超には回ってしまったようです。そもそも馬超は劉備軍に加わる前の活躍の印象が強くて、五人の中ではちょっと異質な感じですし。
あえていえば、ミステリアスな「孤高キャラ」という属性でしょうか。ですがそんな馬超も「関羽・張飛・黄忠よりはイケメン」風に描かれることが多いようですね。
三国志ライター YASHIROの独り言
そもそも関羽と張飛と黄忠は、もともとのイメージが「おじさん・おじいちゃんキャラ」なので、後世の人がイケメンキャラに改造したくても、できないという問題があります。
その点、趙雲と馬超は史実にミステリーな部分が多いため、いじりやすく、後世になればなるほど民衆の夢が詰め込まれたキャラクターになっていった、ということかもしれません。
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