広告

趙雲の評価は五虎将軍の間の関係性で動いてきた?「キャラ立ち」としてみた蜀将軍

2020年2月28日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

十常侍(宦官)

 

「三大名物」とか「四天」とか、または「五人戦隊」とかいった、数にからめた呼称というのは、物事を覚えやすく印象付けるためによく使われます。三国志についても、「十常侍(じゅうじょうじ
)
」(!)やら「三顧の礼(さんこのれい)」やら、数にちなんだ呼称や故事はよく登場します。

五虎将軍

特に有名なのが、劉備(りゅうび)率いる蜀の将軍たちの中から選ばれた、「五虎将軍(ごこしょうぐん)」。関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)黄忠(こうちゅう)馬超(ばちょう)の五名です。

 

同年小録(書物・書類)

 

ところがこの五虎将軍という呼称、もっぱら『三国志演義』で強調されている名称にすぎず、史実に近い書籍である『正史』のほうには登場しないということを、ご存じでしょうか?

 

男気溢れる趙雲

 

それどころか『正史』の記述を見ていると、特に趙雲については、そもそもこの五人組に加われるほど偉い身分でもなかった可能性すらあるのです!

 

自称・皇帝
当記事は、
「趙雲 評価」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:五虎大将軍なのに趙雲の扱いが色々雑すぎる気がする件について

関連記事:なぜ趙雲は劉備に仕えたのか?損得勘定の心理とは無縁の忠義の漢?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



実際はどれくらい偉かった?史実における趙雲の蜀でのポジション

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

『正史』における趙雲の扱いは、実にあっさりとしています。

 

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

・超半の長坂の戦い(ちょうはんのたたかい
)
劉備(りゅうび)の子を助けた

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

・晩年はベテラン将軍として諸葛亮(しょかつりょう)の北伐にも参加し活躍した

 

碁をうつ関羽

 

はっきりと記述されている功績は、この二つくらい。関羽や張飛の貢献度にはかないません。

 

五虎大将軍の趙雲

 

組織の中でのポジションとしても、趙雲自らがどこか広大な範囲の軍勢を担当していたような記録は見当たりません。荊州をまるまる任されていた関羽のような重要ポジションとは違うようですし、劉備の晩年の最重要拠点であった漢中の守備も、もっぱら魏延(ぎえん)が責任者であったと推測されます。

劉備軍で出世する魏延と黄忠

つまり魏延あたりのほうが階級としては趙雲よりも偉かったのではないか、「五虎将軍」というなら魏延あたりのほうがふさわしいポジションだったのではないか、と推測される展開が多々あるのです。

 

中国において後世になるほど激変!趙雲評価の変遷!

劉備に褒められる趙雲

 

ところがこの趙雲、本土中国では時代が後世になればなるほど伝説が付加され、劉備軍の強力な主戦力であったということに、評価が変わっていきます。おそらくは長坂の戦いのインパクトのおかげでしょう。

 

長坂の戦いでの趙雲

 

劉備の跡継ぎである劉禅(りゅうぜん)の命を救ったということは、それひとつだけでも大変なインパクトのある功績です。

 

「そんな働きをする将軍ならば、劉備からの信頼も厚かったはずだし、当然、他の合戦でも大活躍をしていたに違いない」という民衆の夢が、趙雲の評価に乗っていったのではないでしょうか?

 

趙雲子龍

 

その結果として、羅貫中(らかんちゅう)の『三国志演義』では、趙雲といえばまるで一騎打ち名人の如く、さまざまな合戦で「敵将を一突き」で撃破する担当になっています。『演義』中での一騎打ち白星は、関羽や張飛に負けないくらいの数になっているのではないでしょうか。

 

弓の名人・黄忠

 

ただし面白いことに、このようにどんどん「強さ」の評価が上がっていったとしても、中国では長年、趙雲といえば「ベテラン将軍」、時には黄忠のような「老将」としてのイメージが長く続いていたそうです。

 

三国_趙雲と劉備_ちょううん_りゅうび_人物

 

ところが、日本の最近のメディアでは、「趙雲」といえば若手の貴公子然としたキャラクターで描かれることがめっきり多くなりました。強さの評価が中国民衆の中でどんどん上がっていった、というのはともかく、顔の整いぶりに関する評価が日本で上がっていったのは、なんなのでしょうか?

 

「五虎将軍」の中でのキャラ立ちが重要?容姿がどんどん若返っていった趙雲

テレビを見る朱霊

 

ヒントとなりそうなのは、冒頭で触れた、「五虎将軍」でしょう。この五人の中でのキャラ立ちを、さまざまなクリエイターが追及していくうちに、戦隊ものでいえば「赤がリーダー、青が参謀役」と決まっているように、五人のキャラクター分担がわかりやすくなるように決まっていってしまったものと思われます。

 

五虎大将軍の関羽

 

関羽がリーダー格。

 

五虎大将軍の張飛

 

張飛がユーモア担当。

 

五虎大将軍の黄忠

 

黄忠が高性能おじいちゃん。

 

寿命を全うした70歳の趙雲

 

と、この三人がそろった時点で、趙雲が「ベテラン格」では黄忠とキャラがかぶってしまうため、描き分けが必要になってしまうことに気づきます。そこで、むしろ黄忠とは正反対の属性、「みんなよりも若い弟分役」としてのキャラクターが、趙雲に求められたのではないでしょうか。そうしているうちに、一部の作品では「美形担当」という、おいしい役目も趙雲に回ってきたものと考えると、だいぶ納得がいきます。

 

まとめ:かえすがえす見事な五人のキャラの使い分け

五虎大将軍の馬超

 

ところで、そうすると馬超は何担当なのでしょう?

 

錦馬超(きんばちょう)」などという言葉が登場するわけですから、彼が美形担当という選択肢もあったはずです。

 

ボロボロになった馬超

 

ですが馬超には史実として、劉備軍に加わるタイミングが遅すぎる、という悩ましい点があります。かつ亡くなる時期も早すぎる。

馬超にいちゃもんをつける楊柏

 

登場回数が少ないせいで、イケメン枠を趙雲にとられ、「強いけどミステリアス」という不思議な役回りが馬超には回ってしまったようです。そもそも馬超は劉備軍に加わる前の活躍の印象が強くて、五人の中ではちょっと異質な感じですし。

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

あえていえば、ミステリアスな「孤高キャラ」という属性でしょうか。ですがそんな馬超も「関羽・張飛・黄忠よりはイケメン」風に描かれることが多いようですね。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

そもそも関羽と張飛と黄忠は、もともとのイメージが「おじさん・おじいちゃんキャラ」なので、後世の人がイケメンキャラに改造したくても、できないという問題があります。

 

羅貫中

 

その点、趙雲と馬超は史実にミステリーな部分が多いため、いじりやすく、後世になればなるほど民衆の夢が詰め込まれたキャラクターになっていった、ということかもしれません。

 

関連記事:孫軟児とはどんな人?趙雲の妻、名将を支えた奥さん

関連記事:もしも趙雲が劉備の配下じゃなかったら?if三国志を考察してみる

 

民間伝承の三国志

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
YASHIRO

YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

-三国志の雑学
-,