後漢(25年~220年)末期に形成された民間宗教で大規模なものは四川省の張魯率いる五斗米道、もう1つは張角が中国全土に広めていた太平道です。太平道は中平元年(184年)には後漢に対して反乱を起こしています。有名な黄巾の乱です。
張角がいつから太平道を広めていたのか定かではありませんが、おそらく西暦160年代の後半からと推測されています。ところで、彼の広めた太平道とはどんなものだったのでしょうか。今回は太平道の思想について解説していきます。
「太平道 思想」
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関連(霊感)商法をやっていたか?
張角は弟の張宝・張梁、弟子と一緒に民の病気治療から始めていきました。張角の教えによると神は人々を見ており、罪を犯した人に対して神は罰を下す。病気になるのはその証拠、と説いていきました。張角はまず病人に自分の罪を告白させます。人の食べ物をとった、殺人をした、親孝行をしていない・・・・・・大から小までなんでもありです。
告白が終わったら符水を飲ませます。符水というのはお札を焼いて灰にして、それを水に混ぜたものです。もちろん薬のような効果はありません!
風邪程度だったら、放っておけば自然に治りますが重病だった時は治るはずなく病気が長引くか、亡くなってしまいます。もちろん最初は抗議が来たはずです。しかしながら、張角兄弟はそんな抗議は断固拒否!
「治らないのは信仰心が足りないのが原因です」と言って追い払います。ちなみに、私は以前の記事で張角を後漢の心理カウンセラーと言っていましたが、ゲスな見方をすれば張角は効果の無い人たちには高額な符水を売りつけていたと推測しています。
つまり、現在で例えるのなら関連(霊感)商法を行っていた可能性があります。そうでなければ、わずか15年程度で教団が大きくなるはずありませんからね・・・・・・
黄天の世を目指すも失敗
張角は信者を36の「方」からなる巨大な組織に作り上げていきました。「方」というのは司教区、軍管区と考えてもらって大丈夫です。その頂点に立つ張角は「大賢良師」「天公将軍」と名乗ります。弟の張宝は地公将軍、張梁は人公将軍でした。
張角は公平なる世界=黄天を目指すことを決意。また、悪を悔い改めない後漢に矛先を刃を向けることにしました。張角は首都の洛陽に密偵として部下の馬元義を侵入させます。そして自分と思想が合う宦官と連携。首都洛陽と地方から一気に後漢政府の転覆を目指しました。
だが、この計画は失敗します。信者の1人である唐周が密告。馬元義は捕縛されて、処刑されます。あせった張角は中平元年2月に一斉蜂起。ここに黄巾の乱が始まりました。ところが準備不足もあったのか分かりませんが、この反乱は朝廷が派遣した討伐軍により鎮圧。
総大将の張角は反乱の最中に病死、弟の張宝・張梁は戦死します。首脳部はあっさりと壊滅しますが、残党は20年以上に渡り後漢を苦しめることになりました。張角はの理想は失敗に終わりましたが、後漢に一泡吹かせることに成功したのです。
三国志ライター 晃の独り言 信と結ばれる人物は誰?
『キングダム』中毒者となったライターの晃。最近読んでいると気になることがありました。ズバリ、主人公である信と結ばれる女性は誰でしょうか?
正ヒロインである姜瘣の可能性は高いですが、副ヒロインの河了貂も捨てきれません。私は河了貂のファンなので彼女を応援しています。しかし作中で信が河了貂を「妹のようなやつ」と言っているので河了貂が信と結ばれると予想するファンは少ないようです・・・・・・
だけど作者である原先生は案外、読者の期待を裏切るマネをしそうです。『キングダム』はこれまでにも、多くの困難をどんでん返しで勝利したマンガ。恋愛にもどんでん返しがありそうです。もしかしたら2人以外にも第3の女が出現するかもしれません。
読者の皆様はどう思われますか?
※参考文献
・川勝義雄「中国前期の異端運動―道教系反対制運動を中心に」(初出1974年 後に『中国人の歴史意識』平凡社ライブラリー 1993年所収)
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