良く「三国志演義は蜀びいきで誇張が大きい」と言われることがあります。その中でも劉備や関羽、孔明は名前が挙げられてしまうメンバーですね。今回はこの中から、孔明について考えて見たいと思います。
孔明は天才か?それともそれは誇張であったのか?
それは何度も正史三国志と三国志演義を見ていくと分かってきました。
三国志演義の孔明はもはや妖術使い
まずは三国志演義の孔明を見ていきましょう。というのも、三国志演義の孔明はもはや軍師や策士という言葉には留まらない、ちょっとした妖術師の域に到達していると言っても過言ではありません。
ゲームでも孔明は「お前のような軍師がいるか」と言いたくなるような人物にされていることも多いですね。伝承でも多くの不思議な言い伝えが多い人物でもあり、もしかしたら民間の間でも孔明と言えばこういうイメージがあったのかな……と思うと面白くなってしまいます。
しかしこれはやや三国志演義特有の補正が入っています。正史三国志では孔明は内政に特化した能力であり、軍師というよりは政治家としての手腕に優れていたようです。次にその三国志演義の孔明を見ていきましょう。
正史と陳寿の評価
三国志演義では妖術師とも言われるような奇策を使うイメージがある孔明ですが、正史三国志の孔明はむしろ奇策は好まず、慎重かつ入念に準備をしてから戦に赴く性格でありました。孫子を意識しているのか、確実な勝利を得られないような不安があれば戦いはしないようにしている節も感じられます。
孔明が奇策を好まないことが分かるのが魏延との対立として有名な「北伐」。
魏延はここで奇襲を提案するも孔明に却下されたとありますが、このことから孔明が戦下手じゃないかと考える人もいるようですね。
因みに陳寿は孔明の評価として「臨機応変に対応する戦は得意ではないと思われる」と述べています。
ライバル司馬懿はこう語る
そして孔明のライバルとして有名な司馬懿もまた孔明に関してこう述べたものがあります。
「臨機応変に動けない」
「決断力がない」
「正攻法ばかりで奇策を用いない」
と評しているのを見ると、やはり孔明は奇策を好まない性格であるというのは当時の一定の人々は知っていたのではないでしょうか。さてここで考えたいのは「孔明は天才であったのか?」です。最期にここまでを踏まえつつ、筆者の考えを述べてみたいと思います。
孔明は天才であったのか?
正史三国志で孔明が軍を率いて戦っているシーンは実は少なく、北伐が孔明の主な代表戦とも言えます。この数で勝る魏軍を相手に、孔明は奇策を用いずに戦い続けたことで、結果として蜀を勝利には導けませんでした。しかし繰り返し正史、演義を見ているとここでの戦の凄さにも気付くことができます。
魏軍は強大です、正攻法では勝てないでしょう。だからこそ奇策を用いなければいけません、奇策はある意味で弱者の策なのです。しかし奇策は失敗した時には後がありません、成功したからこそ後の世で奇策と称されるのです。
歴史上、いったい何人がハンニバルやナポレオンに倣って失敗してきたでしょうか。
孔明は奇策を用いることをしませんでした。それは戦術家としてではなく、政治家として蜀を見ていたからもあるのでしょう。孔明は蜀が再び立ち上がれない状態になることを良しとしなかったのではないでしょうか?
何より凄まじいのは「勝てない北伐を続けた」にも関わらず「蜀の状況が破綻していない」こと。これだけでも孔明の尋常ならざる能力が分かります。軍師としては優秀、政治家としては天才、それが繰り返し三国志を見てきて伝わる孔明の能力です。
それを思うと、つくづく龐統や法正が早逝したのは孔明にとっても痛かったのでしょうね。
三国志ライター センのひとりごと
孔明は奇策を用いるべきだったのか、と言われると正直「試してみても良かったのでは」と思います。しかし敗北してしまった時には蜀は再び立ち上がれないかもしれない、それを考えると政治家としての孔明は奇策を用いる訳にはいかなかったのでしょう。
何より何年も「勝てない戦い」を続けていたのに蜀の国は疲弊してはいません。これは凄まじい能力と言っていいでしょう。昔、三国志演義から正史三国志を見て「孔明ってあんまり凄くない……?」なんて考えてしまったものですが、見返す度に孔明の凄さが分かります。三国志を知るにつれ変化していく孔明の評価、そう考えると何だかとても面白いですね。
参考文献:蜀書趙雲伝 晋書宣帝紀
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