三国志には数々の個性豊かな武将たちが出てきますが、彼らだけでなく彼らが仕える主君たちもまた個性豊かな人物たちが多く、魅力的です。
主君とはある意味孤独なもの、多くの部下を抱える彼らは決して誰かを贔屓せず、皆を平等に・・・
というのは難しいことなのか、三国志や三国志演義を見ていくと「お、こいつお気に入りなんだな」と思ってクスッとしますよね。
今回はその主君たちの一人、孫権の「お気に入りの人物」になった甘寧、そして凌統を見ていきながら孫権の「お気に入り」を考察してみましょう。
「凌統 考察」
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この記事の目次
血気盛んな人物だった凌統
凌統と言えば父親を甘寧に殺されて揉めたことが有名ですが、もう一件あります。それは206年の山越征伐の時、陳勤という人物が好き勝手に振る舞っていたことを凌統は咎めました。しかしこれに陳勤は怒り、凌統だけでなく父親である凌操を罵りました。
凌統は涙を流してこらえたもののこの罵りは帰り道まで続き、こらえきれなくなった凌統は陳勤を斬りつけ、その傷が元で数日後に命を引き取ります。
しかしこの行動が・・・
陳勤の死を知った凌統は死んで詫びようと敵軍に突撃、討ち死にして……しまうこともなく敵軍を打ち破ります。
その後、凌統は自首するもその話を聞いた孫権は「壮快だ」と凌統に功立たせられるように計らい、罪を償わせる機会を与えました。その後、凌統は合肥で孫権を守って獅子奮迅の戦いをすることになるので感慨深いと言えば感慨深い繋がりではあります。
同じく血気盛んだった甘寧
もう一人紹介したいのが凌統とも縁のある甘寧。
彼は黄祖の配下時代に凌統の父、凌操を討った事で凌統と揉めるも後々に和解……するのは三国志演義の話で、実際に正史で和解したかどうかは定かではありません。
しかし甘寧は武勇に優れていて天下二分の計を進言するなど卓越した戦術眼を持っていましたが、その反面で良く殺人を起こすなどの問題行動を起こしてしまう人物でもあった甘寧。それでも彼もまた、孫権が「魏に張遼がいるなら、私には甘寧がいる」と称した人物です。
孫権は彼らの「どこ」を気に入ったのか?
・・・というと聞こえが悪いですが、孫権は結構こういった血気盛んな人物を好む傾向があるように見受けられます。とは言え凌統は父親に関してのこともあり、むしろ早くに父、孫堅を亡くしてしまった孫権は凌統に自分を重ねていたのかもしれません。
また甘寧に関しても、そういった苛烈さに兄、孫策のような面を見出したのかもしれません。そしてここでもう一人、孫権のお気に入りというべき人物を紹介したいと思います。
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