満寵というと、後年の軍人としての評価が圧倒的な人物です。
その軍功も、関羽の猛攻にさらされた曹仁に退却を思いとどまらせたり、度々合肥に攻めてきた孫権を撃退するなど華々しく、三国無双のグラフィックイメージもあり、若く清々しいイメージさえ漂わせています。でも、そんな満寵、若い頃は酷吏として情け容赦のない拷問で多くの人に恐れられていた事をご存知ですか?
この記事の目次
18歳であの督郵に任命された満寵
満寵は字を伯寧と言い、山陽昌邑の人です。生年が不明で先祖について言及されていないので、平民の家柄なんだろうと思います。そんな満寵が18歳の時に任命されたのが郡督郵というポストでした。
聞き覚えがあると感じた人は、なかなか三国志を読んでいる人でしょう。
督郵とは、三国志演義で劉備に賄賂を求めて拒否されるとクビにし張飛に百叩きにされたあの督郵と同じ仕事です。元々督郵とは、郡太守に直属する監察官で郡内を巡回して役人の仕事ぶりを見て査定し太守に報告する仕事です。督郵は俸給600石で、乗馬服を着、鞭を持ち管轄下の役人に号令を下す役割であり、郡太守に直属しているので地位の割には中々威厳がありました。18歳で督郵になれるという事は満寵は若い頃から非常に有能だったようです。
県のチンピラを愛と情熱で更生させた満寵?
さて、満寵が督郵をしている頃、山陽郡に李朔という賊がいて子分を引き連れて強盗や傷害などをしていたそうで、頭を悩ました太守は、満寵に李朔を捕まえさせて糾察させました。すると、李朔は罪を償わせてくれとお願いし、二度と悪事をしなかったそうです。
ここまでだと、なんとなく満寵が慈愛と熱情を持って不良少年を更生させたスクールウォーズの滝沢先生のように見えますが、どうなんでしょうね?その回答は、もう少し後で出すとしましょうか。
激しい拷問で督郵を殺害する満寵
満寵が高平令をしていた時の事、県人の張苞という男が郡督郵になりましたが、日頃から賄賂を取り県の政治を乱していました。それを満寵は見逃さず、張苞が建物にいる時を狙い、吏卒を率いて踏み込んで張苞を逮捕します。
ここまではいいのですが、ここから満寵は張苞に犯した悪事を全て吐かせようとして即日に考竟したと書かれています。考竟とは、拷問が行き過ぎて殺してしまったという意味であり、それを知った満寵は役人の地位を棄て故郷に帰りました。確かに張苞は言い逃れが出来ないレベルの悪人だったのでしょうが、拷問にかけて殺すのは、いくらなんでも行き過ぎですよね・・
恩赦が下りる前に曹洪の食客を殺す!
一度は故郷に引っ込んだ満寵ですが、曹操が兗州牧になると辟召して従事(秘書)とし大将軍に昇進すると西曹属に配置して許の県令に任命しました。その頃、曹洪は曹操の親戚であるのを良い事にガラの悪い食客が、しばしば法律を犯すのを揉み消させていましたが、満寵はそんな忖度はせず容赦なく逮捕していました。
これを知った曹洪は、書簡を送り手心を加えてくれと頼みますが満寵は無視しました。そこで、曹洪は今度は曹操に働きかけ、曹操は許の主任者を招集しましたので、満寵は曹操が食客を許そうとしていると見て食客を殺害します。しかし曹操は怒るどころか、「任に当たるものはそうでなくてはいかん」と褒めたそうです。曹洪の食客がどんな罪を犯したのか、よく分からないのですが、殺すほどの容疑だったのでしょうか?
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