満寵とはどんな人?裏の顔は泣く子も黙る拷問の達人【年表付】


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満寵とはどんな人(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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還暦前の楊彪に拷問

袁術と楊彪

 

西暦196年、旧三公の大尉だった楊彪(ようひょう)が皇帝を自称した袁術と縁戚関係にあるという理由で投獄されました。満寵は、楊彪の尋問担当でしたが、尚書令荀彧(じゅんいく)と少府孔融(こうゆう)等が揃って満寵に尋問して調書を取るだけで拷問は止めてくれと言い含めます。しかし、満寵は一つとして返事をせずに法律の通りに尋問しました。

孔融と曹操

 

その上で曹操に面会を求めて言うには、

 

「楊彪を尋問(じんもん)しましたが嘘や隠し事をしている様子はなく罪には問えないと思われます。罪人を処刑するには、その罪を明らかにする必要がありますが、楊彪は名声があり、無実で殺害するような事になれば殿は民心を失うでしょう。私は、それを密かに惜しむものであります。」

承諾する曹操

 

曹操は、この意見を容れて楊彪を釈放しました。当時の常識では、高い地位にある人物には刑罰を加えない決まりになっていましたが、曹操が興した魏は珍しく高位高官でも容赦なく裸にして(むち)で打っていた事が当時の史料に出てきますので、満寵が法律の通りに尋問したという事なら拷問に掛けているでしょう。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

この頃、楊彪は54歳で当時としてはお爺さんでしたが、満寵は情容赦なく法を執行したのです。ただ、楊彪も老齢ながら貴族にしては頑強な肉体だったのか、曹操より長生きし80歳を過ぎまで生きて魏の建国を見届けています。

 

若い頃は酷吏そのものだった満寵

進軍する兵士b(モブ用)

 

このように若き日の満寵は、確かに公明正大で正義を実行する人であったようですが、およそ手心とか温情というものが見られない酷吏そのものであるように見えます。曹操の配下であった于禁(うきん)と似ていて、立派な人だけどあまり慕われないというのが正直な人間像でしょう。

 

庶民、村人の家

 

その後、満寵は酷吏から軍人に転身して後年に豫洲(よしゅう)刺史(しし)になってからは善政を敷き、揚州に転任する時には、汝南の兵民が満寵を恋慕して、どこまでもついてきたと書かれていますから年齢を経るに従い丸くなったのでしょうか?

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

こうして拷問の達人としての満寵を見てみると、最初のチンピラの李朔はやはり愛と情熱というよりは、満寵に拷問でシバかれ恐ろしさの余り改心したと見るのが正しいのではないかと思えてきます。滝沢先生のように、一発ぶん殴るだけでは、済まなかったんではないでしょうか?

 

参考文献:正史三国志

 

関連記事:孫呉キラー満寵と度々満寵と並べて出される「あれ」のお話

関連記事:満寵の有能さを解説します!もう少し広まって欲しい満寵の評価

 

満寵(まんちょう)・年表

正史三国志_書類

 

所属:(ぎ)

姓名:満寵(まんちょう)

:伯寧(はくねい)

出身地:兗州山陽郡昌邑県(さんようぐんしょうゆうけん)

生没年:? - 242年

 

関連年表:

 

192年:曹操に仕える

196年:許の令に任命

208年:官渡の戦いの時期に汝南太守を務め、後に奮威将軍を兼務

219年:関羽が撃退されると安昌亭侯に進封

220年:曹丕(文帝)の時代に揚武将軍

222年:呉との江陵での戦いで功績を挙げ伏波将軍に任命

224年:賈逵の死後に豫州刺史を兼任

229年:曹休に変わって前将軍・都督揚州諸軍事に就任

230年:征東将軍に就任、孫権の合肥侵攻に備える

238年:老齢を理由に対呉の任を解かれ大尉となる

242年:大往生を遂げる(死去)

 

参考書籍:三国志 完全ビジュアルガイド 完全版

 

曹操孟徳

 

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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