教科書にも出てくる「桶狭間の戦い」。よく「すごい、すごい」といわれますが、何がどう「すごい」のでしょうか。兵力にあまりにも差があったから?
織田信長が弱小大名だと思われていたから?
あんまりいわれても。。。全くジャンルは違いますが、「ピカソの絵はすごい」というようなことをいわれている気分ですよね。なので、今回は「織田信長って誰?」というような方でも楽しんでもらえるような、桶狭間のお話をしていきます。そして、歴史ファンの方が読んでも楽しめるような、少し濃いめのエピソードもちりばめていきます。
この記事の目次
桶狭間の戦いの4つの謎
「桶狭間の戦い」は永禄3年(1560年)、織田信長と今川義元との戦です。時代としては、戦国時代の初期~中期頃。今(2020年)からざっと500年近く前のことなので、記録はそれほど残っておりません。
ですので、分からないことも多くあります。信長は、ここで勝ったことをきっかけに、天下統一へと動き出したという、歴史上とても重要な戦いです。また、圧倒的不利だった織田軍が勝利したということで、歴史上とても珍しい戦いの1つともなっています。そう、それが最初にして最大の謎です。
謎1:なぜ信長は圧倒的不利な状況で勝てたのか?
「なぜ、信長は圧倒的不利な状況で勝利することができたのか?」
当時の両軍の軍勢は、織田軍3千に対して、今川軍2万5千といわれています。これにはいろいろな説があるのですが、織田軍が圧倒的に兵力で劣っていたというのは間違いないようです。さらに、ここで謎が深まります。
謎2:信長がどのように勝利したのか?
「どうやって信長は勝ったのか?」
どのようにして勝利したのか。これも大きな謎です。
「奇襲によって勝利した」というのが教科書にも書いてある有名なストーリーです。しかし、最近ではそうでもなかったという研究もみかけられるようになってきました。実際のところはどうだったのでしょうか。後ほど検証していきます。
さらに、ここで新たな疑問も生まれます。
謎3:信長はなぜ籠城せずに撃って出たのか?
「なぜ信長は城で守りを固めずに、撃って出たのか?」
織田軍は、城や砦での攻防ではなく、野戦といわれる戦闘をして勝利しました。一般的には、兵力差が開いている状況では、籠城という城にこもって守りを固めるというのがいいとされています。しかし、信長は逆に城から出て、今川軍に攻撃をしかけることによって勝利しました。どうしてこんな戦術をとったのでしょうか?
実際、家臣たちは籠城の意見が多かったと記録に残っています。それを、押し切ってこの作戦を実行しています。信長を決断させたポイントは、一体なんだったのでしょうか?このあたりも後で考えていきます。また、その攻撃によって織田軍は今川軍の総大将『今川義元』を討ち取っています。ここも少し不思議です。
【次のページに続きます】