麒麟がくる第21話 感想あらすじ「決戦!桶狭間」麒麟がきた

2020年6月9日


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麒麟がくる第21話(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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麒麟がくる第21話 感想あらすじ「狙うは今川義元!」

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

善照寺砦の兵力はざっと2500、信長が途中でかき集めた兵力を足しても3000名でした。しかし、梁田政綱の調べでは、今川軍の本陣は7、8000名であり、兵力には倍以上の開きがありました。今川軍の本隊は、松平元康が入る大高城に向かう途中で桶狭間を通過していました。大高城に入り兵力を集中させ、一息に清須城を落とすつもりです。今川義元が大高城に入る前に決着をつけたい、、なんとか今川本隊の兵力を減らす手はないか、、

 

そこで信長が閃いたのは、中嶋砦に陣取る佐々隼人正(さっさはやとのしょう)の兵力300に伝令を出し今川本隊を挑発する事でした。信長の策略は図にあたり、用心深い義元は1000名以上の兵力で佐々隼人正の部隊を蹴散らします。

 

これで、義元の本隊は5000余り、信長の兵数3000、これならば戦えると信長はまなじりを決して立ち上がりました。折から、突然に風雨が巻き起こり雷鳴が轟きます。

馬に乗って戦う若き織田信長

 

「目指すは桶狭間、狙うは今川義元の首唯一つ、それ以外は捨て首にいたせ」

 

槍を片手に砦を飛び出した信長に、弾かれたように3000名の織田軍が付き従いました。

 

麒麟がくる第二十一話 感想あらすじ「桶狭間」

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

その頃、元康は休憩をとっていました。昨夜から一睡もせずに戦っている家臣の為です。それも考えず、義元は三河勢に今度は鳴海城へ向かえ、今度は桶狭間に行けと矢継ぎ早に命令を出していたのです。また、大高城に兵糧を運び込んだ時の城主の鵜殿長照(うどのながてる)が言った、義元が三河守に任官したという話も元康の心を(さいな)んでいました。

 

「この戦、勝っても負けても、三河の得にはならぬ」という母の言葉、「信長は協力すれば三河のモノは三河に返すと約束した」という菊丸の言葉。さらに、元康の脳裏には幼い日「義元は、いつか必ず討ち滅ぼす敵だ」と信長に誓った記憶が蘇ります。

武田信玄と徳川家康

 

そして、元康は桶狭間への出撃を命じる今川の要求を「本日はここを一歩も動かぬ」と頑なに拒否したのです。信長が恐れていたのは、大高城から元康が出撃し織田軍が挟み撃ちになる事でしたが、その恐れは元康に回避されました。

 

桶狭間では、激しい激戦が繰り広げられていました、折からの大雨は上がっていたものの、直前までの土砂降りは信長率いる3000の織田軍の姿を完全にかき消していたのです。

三国志のモブ 反乱

 

塗輿(ぬりこし)じゃ!輿に乗っているのが義元じゃあ!輿を探せ」

 

信長の言葉に織田の兵は、輿から逃げていく今川義元を追います。さすがは、海道一の弓取り、義元は自ら刀を振るって奮戦しますが、供周りは一人減り、二人逃げという有様で遂には、義元一人になってしまいます。

 

そして、義元が気を逸らした隙に、毛利良勝が少年漫画顔負けの大ジャンプで、義元の腹に槍を突き立てました。

毛利新介(もうりしんすけ)、今川義元を討ち取ったりーーー!」

かくして、戦国時代屈指の名勝負、桶狭間の戦いは織田信長の勝利で終ったのです。

 

麒麟がくる第21話 感想あらすじ「アフター今川」

武田騎馬軍団 馬場信春

 

戦いが終わった後、十兵衛が桶狭間に到着します。信長は珍しく安堵(あんど)した表情で「勝ったぞ」と告げました。

 

十兵衛が「見事でした」と言うと信長は、

「わしを褒めてくれるのか?父も母も、兄弟も、今まで誰もわしを褒めなかった。

しかし、帰蝶は何をしても褒める、あれは母じゃ」と十兵衛に嬉しそうに言いました。

 

そして、また会おうとその場を去ろうとする信長に十兵衛は

「今川を倒し、次は何をなさいますか?」と聞きます。

 

「美濃を取る、美濃は帰蝶の里じゃ、帰蝶を喜ばせる」

 

「では、その後は?」

 

と十兵衛が聞くと、信長は馬上でニヤリと笑い、何も言わずに十兵衛の前から去っていきました。

駒(麒麟がくる)

 

同じ頃、駿河では今川義元の討ち死を知った望月東庵(もちづきとうあん)(こま)が今後の事を話し合っています。そこで、駒は松平元康から来た手紙を東庵に見せました。手紙の内容は、16年ぶりに母に会えた事、そして信長の計らいで元康が三河に戻れる事になった事が書かれていました。

 

二人は元康の近況を喜び、東庵が京に戻ろうと言うと、駒は京に戻る前に灸を頼まれている人がいると言いました。その老人は、芳仁と言い、京都に帰ると言うと駒に丸薬のつくり方を書いた紙を渡すのでした。

 

十兵衛は馬を走らせていました。まだ、何者でもない十兵衛ですが、脳裏に死んだ道三の「大きな国」、そして「信長から目を離すな、お前と信長と二人なら大きな事がやれるかも知れん」という言葉が繰り返し響いているのでした。

 

麒麟がきたライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

麒麟がくるは、21回で一旦休止して、また撮影が進んだら再開するそうです。大河ドラマ史上初めて、年をまたいで完結する事になりました。次からは、再び京都が舞台になり室町幕府最期の将軍、足利義昭も登場しそうです。

 

織田信長の上洛に向けて物語は動き、いよいよ十兵衛が織田信長の家来、明智光秀として歴史の表舞台に姿を現す事になりますね。

 

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麒麟がくる

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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