今回はタイトル通り、三国志演義は面白い!ということを伝えていくべく、三国志演義の筆者なりの楽しみ方や便利な点を紹介していこうと思います。というのも少し気になるのが、正史三国志を読んだ人がたまに「三国志演義じゃなくて正史を見なきゃ!」ということです。
正史三国志と三国志演義はどう違うのか?正史三国志を見ていなければ三国志を語ってはいけないのか?
そういう悩みに対しての筆者なりの考えを述べさせても頂きますね。
この記事の目次
三国志演義とは?
さて基本になりますが、三国志演義とは中国の古代のとある時代を記録した通称・正史三国志を元にして作られた創作のお話です。この三国志演義は中国四大奇書の一つで、残りは西遊記、水滸伝、金瓶梅となります。
この他の奇書もとても面白く、筆者は西遊記から飛び火してインド神話なども調べて行った口です。興味が湧いた方はぜひ他の三作も見て欲しいですが……おっと、話がそれましたね。
ここで重要なのは、三国志演義はあくまでも後世の時代で作られた、歴史書である三国志が元になっているとはいえかなり内容が脚色されているということです。
三国志演義と正史三国志の違い
三国志演義と正史三国志の違いで一番大きいのは「主役」がいるという点でしょうか。基本的に三国志演義は前半は劉備が、後半では諸葛亮を主役目線として物語が進んでいきます。
そしてこの劉備は基本的に聖人君子であり、敵対する曹操は悪役として描かれていることが多いです。
また諸葛亮、関羽の活躍がかなり脚色化されていることが多く、彼らの引き立て役として通称・演義被害者の会として周瑜、曹真らなど実際にはとても優秀かつ有能な武将たちがただ「引き立て役」で終わってしまっているのがファンにとっては哀しい所。このため三国志演義は「蜀びいき」と言われていますね。
三国志演義の欠点?
前出したように三国志演義は蜀視点、蜀が主役であるように脚色されています。特に一部の武将たちの活躍が大幅に加筆されていることもあって、その点で話が盛り上げられていると言っても過言ではありません。
またその比較のように一部の武将たちが無能のように描かれていることもあります。このためこれを話しの基本として話すと、一部の武将たちのファンの反感をかってしまうことがあるのでその点には注意して欲しい所です。
日本の三国志作品の特徴
ちょっと閑話休題として、日本における三国志関連の作品に付いて話しましょう。多くの場合、日本での三国志関連の作品は蜀が滅亡した時点で終幕します。このため三国志末期の武将たちを知らないという人も多いですね。
しかし「三国志」とあるようにこの話は「三国」が話の基本であるはず……が、実際には曹操の息子の曹丕が漢王室から「正式に」禅譲されて魏を作り、それに臣従したくない蜀と呉が生まれたので、三国志が正式に始まったのは中盤以降、それまでは後漢時代のお話です。
もっと言うと三国志が終わる三国終焉は蜀、魏、呉、と滅んでいく上に、統一された時には既に魏は晋になり、最初の頃の武将たちどころかその子供の代もほぼ終わっているという状態です。この三国志とは言え三国ができ上ったのは中盤以降、終焉した時にはその国は殆どいないと、ちょっと名前に反するのも三国志の面白い所ですね。
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