広告

伊達政宗の功績とは?現代にまで伝わる地名や食文化までご紹介!

2020年7月19日


はじめての三国志_ページネーション

こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。

伊達政宗の功績とは?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



関が原の功績

皆殺しをする伊達政宗

 

軍事に関連して、もう1つ大きな功績が「関が原」です。あれ?伊達政宗って、関が原に参加してたっけ?とお思いの方。お詳しいですね。そう、あの関が原には行っておりません。

 

しかし、その間に政宗も戦っております。それが通称「北の関が原」という戦いです。正式には「慶長出羽合戦」と呼ばれているものですね。対決したのは、上杉景勝の軍勢です。そして、この戦いには、愛の字の兜で有名な『直江兼続』と、かぶき者の『前田利益(慶次)』も参戦しております。けっこう豪華な顔ぶれですね。

 

(直接対決ではありません)

 

関が原の直前、家康は上杉景勝を攻めておりました。ですが、石田三成らが挙兵したので、西に向かわざるをえなくなります。それで、一緒に上杉を攻めていた政宗にこの方面を任せたのです。そのとき、家康は適当な口約束をします。

 

「勝って奪った領土は、おまえのものにしていいから」

 

この言葉に、戦に飢えていた政宗は、奮起して転戦します。ですが、結局この約束は、なんのかんの難癖つけられて、2万石だけの加増で終わります。それでも、家康の後顧の憂いを絶ったという功績は素晴らしいものがありました。政宗は、この後家康に重用されていくこととなるのです。

 

伊達の騎馬鉄砲隊

 

政宗独自の戦術では、騎馬鉄砲隊が取り上げられることがあります。これは、騎馬隊が鉄砲を撃つというそれまで誰も考えていなかったものです。小説やドラマなどで描かれる、騎馬隊が鉄砲を撃ちながら突撃してくるというあれです。

 

大阪夏の陣で行われたといわれていますが、真偽は不明です。また、行われたとしても、あまり成功はしていなかったようです。よくよく考えれば、馬を走らせながらの発砲は困難です。また、馬を止めて、騎乗しながらの発砲もおそらく難しいでしょう。ですので、実際には、騎馬隊に鉄砲を持たせて、敵軍に近づいたところで馬から下りて一斉射撃。

 

それに驚き、陣形を崩したところに騎馬隊のスピードを利用して突撃する、というものだったようです。しかも、その突撃する騎馬隊は、また別の通常の騎馬隊であったという説もあります。この戦術のアイデアの元になったのは、馬に乗りながら弓を射れるなら鉄砲も撃てるだろ。ということのようです。

 

ですが、やってみたら「これ絶対無理やん」という感じだったのでしょう。政宗のアイデアマンという側面が伺えるエピソードなので、功績として取り上げさせて頂きました。この後、政宗は「平和な世を作る」という家康の考え方に共鳴していきます。

 

徳川家との関係

 

先ほども書きましたが、政宗は家康との交流を深める中で、「平和な世の中を作る」という目標にひかれていきます。若いころは、天下統一という夢まで持っていました。ですが、秀吉や家康、それどころか関東には、上杉や北条など、まだまだ自分よりも大きい相手がいて難しいと感じていました。

 

彼らに対して、戦争をやり続けないといけません。悩みの中、家康に「天下を太平にしたい」と言われます。こんな、いつも戦ばかりの国でいいのか?

 

政宗は、その言葉で家康の目標に乗ることにします。家康は、それまでの信長や秀吉の失敗を見て、より強固な体制作りをしていきます。それで、政宗は領国の発展に新たな情熱を傾け始めるのです。そんな政宗の、文化や経済の面の功績もお伝えしていきます。

 

仙台という地名

仙台城

 

現在の「仙台」という地名は、政宗が命名しました。それまでは「千代」です。古い漢詩から取られており、「神々の住むところ」というような意味だそうです。織田信長(おだ のぶなが
)
が「岐阜」というを地名を付けたことに似ていますね。

 

政宗は、青葉山に現在の仙台城(青葉城)を築城し、城下町や街道を整備。そして改名。ここに、400年以上続く、東北随一の都市が生まれることになります。

 

奥州米

 

政宗は農地改革にも取り組みます。これにより米の生産量は大幅に増加。62万石といわれている仙台藩は、実質的には70万石を超えていたともいわれています。距離的に近いこともあって、江戸市中に出回る米の約3分の1は仙台産だったと試算されています。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
しばがき

sibagaki

ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

-戦国時代 (日本)
-